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ヨハネ受難曲 

先週末、サンフランシスコ近郊のリゾート地カーメルで、「カーメル バッハ 音楽祭」が開催された。Bob W6CYXと一緒に行きたいと以前から考えていた音楽祭だったが、近づいているのに気づいたのが先月末。ひょいと出かけるわけにもいかず(家人が休みを取れない)、今年は、音楽祭のメイン演奏曲目であるバッハのヨハネ受難曲を聴きながら過ごすことにした。

Bobが、先週半ば、興奮した面持ちで、鈴木正明指揮BCJによる2000年の演奏が素晴らしいといって、YoutubeのURLを送ってよこした。それを聴いた。今日になってここにそれを貼ろうとしたら、視聴できないという表示になってしまっていた。BCJの演奏は、小規模のアンサンブルで、オーセンティックな演奏法である。響きが透明であり、かつポリフォニーの旋律線が明瞭に浮かび上がって聞こえる。旋律が歯切れよい。恐らくは、指揮者の鈴木氏の造詣と思い入れの深さによるのだろうが、マタイ受難曲と比べても、内面により迫るこの音楽の内容をよく表現している。

ヨハネ受難曲についてもっと知りたいと思い、このサイトの解説を見つけた。ヨハネ福音書の位置づけから、この受難曲の意味まで深い内容を分かりやすく記載されている。筆者はどのような方なのか。合唱団の内部資料として記したものを公開したらしい。筆者の思いが伝わってくる文章だ。ご一読をお勧めしたい。

この曲、正直言って、少し苦手にしていた。その理由の一つ(理由にもなっていないが)は、第一曲からして、弦楽器が無窮動風に動く動機が、何かこころのざわめきを表現しているようで、聴いていて苦しくなってしまうのだ・・・それを意識していなかったが、恐らくそうだったのだろう。ヨハネ福音書が、他の福音書とは異なり、キリスト教が世界に伝道される時に、イエスとその十字架上の死がいかなる意味を持っていたのかを解き明かすことを目的として記されたために、極めて内面的な内容になっていることも取っつきにくい理由だったのかもしれない。だが、改めて聴いてみると、やはりその深さはただならぬものがある。イエスの捕縛に際してのペテロの否認を通して信ずることについて述べ、さらにピラトとパリサイ人(コスモポリタンな見地からユダヤ人となっている)のやり取りを通して、信仰の政治性、そして社会性を表現しているように思える。上記の解説文の記述を参照しながら聴くと、こころに迫ってくるものがさらに大きくなる。

少し地味な音楽だなと思っていた、ヨハネ受難曲だったが、繰り返し聴くべきものの一つになった。Bobは、どのような感想を持って、カーメルから帰ったことだろうか。

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