「軍事的抑止力」は、カタストロフをもたらす 

A.Arkhipovという名前の旧ソ連海軍軍人についてご存知の方は、どれほどいらっしゃるだろうか。先日、facebookへの投稿で、彼について紹介される記事を読むまで、私は彼の存在すら知らなかった。いわゆるキューバ危機の際に、世界核戦争に突入するのをすんでのところで止めた人間ということのようだ。英文での、彼に関するwikipediaの解説はこちら

キューバ危機の際に、米軍がソ連の潜水艦を抑える駆逐作戦に出た。そのために、Arkhipov等の乗るソ連軍の潜水艦は、深海に潜り静止せざるを得なかった、彼らの潜水艦にはモスクワからの指令が届かなくなった。そうした緊張状態でしばらくすぎ、艦長は、すでに核戦争が始まっていると考え、米国に対して核弾頭搭載ミサイルを撃ち込むべきだと考えた。当時の潜水艦では、そうした重大な決断は、三名の上級将校の無記名での投票にかけられることになっていたらしい。Arkhipovのみが、反対の意思表示をした。無記名とはいえ、艦内では激烈な議論が交わされたようだ。結局、彼の反対に基づき、核弾頭攻撃は見送られた。そこで、核弾頭攻撃が行われたら、確実に第三次世界大戦が核兵器によって戦われたことだろう。それは世界の破滅を意味した。

キューバ危機の一年前に、別な原子力潜水艦に乗っていて、Arkhipovは重大な事故に遭遇した。そこで、身を挺して、事故の収束に、彼は当たった様子だった。結局、その際の放射能被曝により、彼はのちに亡くなることになる。

この事実に接して、「軍事力バランス」を追求した挙句の抑止力がいかにもろく、危険なものかを改めて私は教えられたように思った。軍事抑止力を追い求めると、結局際限のない軍拡に突入せざるをえない。常に相手(敵と想定した国)と軍事面でバランスを取れている、または相手よりも勝っていると確信するまで、軍備を増強せざるを得ないからだ。相手も同じ意図を持ち軍備増強にまい進する。際限のない軍拡競争が始まる。「軍事的抑止力のジレンマ」という、国際政治論では有名な状況だ。

軍拡を最大限に推し進めて、不測の事態によって戦争の引き金が引かれると、取り返しのつかないカタストロフが訪れる。その一歩手前でようやく踏みとどまったのが、この事件の指し示すことなのではないだろうか。現代は、当時よりも精密なリスク回避のための方策がとられているかもしれないが、システムの問題、人間のエラーの問題によって、「不測の事態」が生じる可能性は常にある。それによって、上記の通りのカタストロフが出現することになる。

集団的自衛権行使によって、「抑止力」が高まるというのは、嘘である。これまで通り、個別的自衛権によって、簡単に侵略を許さないという意思表示をするだけで十分なのだ。元防衛研究所所長であった、柳澤協二氏は、次のように述べている。

『1976年の防衛大綱以降、日本は、基盤的防衛力という立場をとってきました。基盤的防衛力とは何かといえば、能力ベース、つまり、あらゆるスペクトラムの脅威に対応できるだけの基礎は持っておき、量的には不十分であっても、相手の攻撃に対して何らかの対処ができるようにする、という発想です。』

基盤的防衛力で安易な侵略は許さないという意思表示をすることによって、十分な個別的防衛力を発揮できた、ということだ。集団的自衛権行使は、我が国を米国の世界戦略に組み込むためのものであり、我が国、世界の平和に決して寄与しない。


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