人生を共有する 

今日の21メガも北米東海岸によく開いていた。Alan W2MVに呼ばれた。同じFOCのメンバーであり、チェンバロを演奏するエンジニア、なじみの友人だ。小気味の良いCW。彼との交信はいつも楽しみだ。

一通りの挨拶のあと、感謝祭の休暇をどうすごすのか、という話題になった。もちろん、感謝祭はあちらの催しであり、彼と彼の家族がどうすごすのか、ということだ。彼らにとって、感謝祭は、場合によっては、クリスマスよりも大切な催しになる。

Alanは、NJに出かけて、義理の兄弟の父親たちと食事会をするらしい。だが、その方が、つい先日、末期の胃癌と診断され、余命3か月と宣告された由。もう80歳過ぎであり、化学療法は受けないことに決めたようだ。彼と一緒に食事をとることがつらい、と彼は言う。Alan自身、細菌膀胱がんを克服したばかりなので、その方のことを思って、余計にいたたまれぬ気持になるのだろう。

その方は、ベルギーで生まれ育った方で、第二次世界大戦中ナチスを逃れて、4年間隠れ家生活をしたとのことだ。ご両親は、ナチスによって強制収容所に送られ、亡くなった様子。その方の簡単な生涯の紹介がこちらにある。戦後、米国に移住し、耳鼻科医になったようだ。この短い文章の背後にどれだけの苦難と、さらに喜びがあったのだろうか、と思った。

Alanにはかける言葉を見つけがたかったが、化学療法を選択しなかったのは良かった、緩和ケアによって苦痛を最小限にしてもらえるはずだ、だから食事会では、何時もの通りに彼に接して差し上げるのが良いのではないか、と申し上げた。

人の死に方は千差万別だが、癌のように時間をかけて亡くなることは、悪いことばかりではない。緩和ケアを受けながら、周囲の方々と貴重な最後の時間を共有し、さらに最後の別れをゆっくり述べて逝くことができる可能性があるわけだ。周囲の方々にしてみたら、突然居なくなるよりは、よほどその方についてこころの整理ができるのではなかろうか。いわば、残される方々のために、癌という病を負って最後の時間を生きられるわけだ。その方の残りの時間は、残される方々のためなのではないだろうか。

こうした意味合いのことを申し上げた。どれだけ受け止めて頂けたか、親族としての彼の哀しみをどれだけ私が受け止められたか、忸怩たるところはあるが、彼は分かったと言ってくれた。

来週、彼は60歳の誕生日を迎える。そのお祝いで、奥様とともに英国に旅行にでかけるらしい。早めの誕生祝と、60歳代の仲間になる歓迎の言葉を送った。

無線を通して、会ったことのない友人と、お互いの人生を共有する、すばらしいことではないか。

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