モールス通信の知覚と理解は別な大脳領野が担当する 

Hum Brain Mapp. 2015 Nov;36(11):4512-28. doi: 10.1002/hbm.22939. Epub 2015 Aug 25.
From perceptual to lexico-semantic analysis-cortical plasticity enabling new levels of processing.
Schlaffke L1, Rüther NN2, Heba S1, Haag LM1, Schultz T3, Rosengarth K4, Tegenthoff M1, Bellebaum C2,5, Schmidt-Wilcke T1.

というタイトル論文に目が留まった。抄録を読んだだけであり、また内容も大脳生理学的な内容で完全に理解したとは言えず、また実験系に関してもちょっと疑問はあるのだが・・・

モールス信号の学習過程における、知覚認識、内容の理解にともなってactivateされる、大脳領域をfMRIで観察した報告だ。ともに、優位半球である左半球がactivateされる。知覚認識と、内容の理解では、活動する領野がオーバーラップするが、学習が進んで内容の理解がなされると、語彙に関する領野が活発になる、という結果のようだ。英文ブログで具体的な内容を紹介する積りでいる。

この論文抄録を読んで感じたことは、一つには、モールス信号の認知を大脳生理学的に研究する研究者がいるということへの驚きだ。モールス符号は、アマチュア無線の領域でしか生きながらえていない、いわば過去の遺産のような通信手段だからだ。しかし、その簡易な符号体系は、きっと人の知覚・認知機能を研究する際に、有用な材料となるのだろう。

活発化する領野各々についての議論は置いておくとして、知覚と理解は、オーバーラップするが、後者には、それに特有の領野があるということは大切な知見だろう。考えてみれば、当然のことだが、モールス符号の知覚、おそらく符号から文字への置き換えと、モールス符号によって送られる言葉の意味の理解は、別な領野が担当している、ということなのではないだろうか。

これを実際のモールス通信に当てはめてみれば、モールス符号の意味のない組み合わせの送受と、モールス符号によって行われる会話の送受は、別な大脳の領野によって担われるということになるのではないだろうか。理解は、知覚を前提としているが、理解は脳の別な機能というわけだ。

さらに推測すれば、コンテストや、DXにおける、意味のない(価値がないという意味ではない、我々の生活に直接かかわらないという意味での無意味性である)モールス符号のやり取りと、モールス符号を用いた会話とは連続していない、ということだ。それら各々によって我々が感じる楽しみ、喜びもまたおのずから異なってくる。

これは最近しきりに私の脳裏に去来する観念だったので、それを裏付ける実験結果なのではないかと、この論文を見つけて、私の考えが間違っていなかったと言えるのかもしれない、と少しご満悦である。冷静に考えると、当然の帰結なのかもしれないが、大脳生理学的手法によってモールス通信の本質が、さらに見えてきたように思えるのだ。

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