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コンテストの思い出 

先日、医師免許が必要になり、探し回った・・・何せ、この免許の現物は、そうめったに必要になるものではないのだ。その際に、シャックの押入れから、賞状を保管するホルダーが、幾つか出てきた。そこには、1990年前後の私の無線活動の賜物(といっても、たいした成果ではないし、今となっては単なる紙切れ同然なのだが)が、何枚か保存されていた。主に、コンテストで得た賞状だ。

私がコンテストに出るようになったのは、1960年代、無線を始めた当初からだった。専ら、7メガのCW。最初の頃の、6AQ5シングル送信機にダイポールでは、交信できる方が珍しかったような気がする。せいぜい20、30局程度だったのではあるまいか。夏休みの最後に行われていたオールアジアCWが印象に残っている。今と同様に、年齢をコンテストナンバーに送るコンテストだった。WA6IVM Rayは、まだ50歳代だった。その息子Steveも、10歳代だったか。10歳代、20歳代の若者が、無線の主役だったような気がする。

1980年代、カムバックしてきてからも、オールアジアCWやWWCW、それにARRLCWは事あるごとに出ていた。ベアフットにバーチカルだったので、交信できても、200局前後だったろうか。オールバンドに出るようになっていた。まだ、圧倒的に呼びに回ることが多かった。各バンドの特性、DXへのオープニングの具合などを少しずつ理解していった。特定地域へのオープニングが、たとえ良く聴こえていても、一方通行になることも知った。たとえば、7メガのヨーロッパは、日の出前は良く聴こえてもこちらからの電波を飛ばすのはきつく、日の出からその後1時間程度に交信し易さのピークが来ることが多い。これは、互いの地域の伝播状況以外に、ヨーロッパ側のローカルの混信の状態が関係しているのかもしれない。当時は、太陽活動が活発な時期で、21メガも結構使えた。朝、東海岸のビッグガンが、ずらっと並んでいる様は圧巻だった。

当時は、コンテストに入賞するとか勝つとかは想定外のことだった。しかし、リニアーを用いるようになり、ビームも上げると、呼ばれ続ける経験をするようになった。1980年代の終わり頃から、ログを提出するようになった。初日は、呼んで貰う側に立ち、二日目は、ニューマルチを探すのをメインにする、といった戦略を立てて頑張るのだが、なかなか思うようにはいかない。また、コンテストの終了する月曜日の仕事を休むわけにはいかなかったので、二日徹夜は出来なかった。コンテストの終わる2,3時間ハイバンドの北米局が、唸りを上げるようにして呼んでくる、それを朦朧とした意識のなか、捌いて行くのは、なかなかの快感だった。一種の自己陶酔か。

1990年代半ばになって、結構容易にJAトップになれた、JIDXCローバンド(この時代は、ローバンド、ハイバンドの二つに分かれて開催されていた)7メガシングルバンドCW等の「穴場(笑)」にもビッグガンが進出して来た。またWW CWのようなメージャーなコンテストでも、猛者が何局かいて、到底太刀打ちできぬことが分かってきた。手書きログの限界を感じ、K1EAのCTを入手、インターフェーズもN3JTに送ってもらって、準備を始めたところで、CONDXの低下もあり、コンテストから自然に撤退することになった。

コンテストの面白さは、CONDXを読み臨機応変に対応する技術と、ハイバンドでランニングすることだろうか。オールアジアで知り合いの年齢を、毎年確認することも楽しみだった。しかし、コンテストは、体力的にも何時までも続けられないし、また人間と対する趣味というよりもゲームに近いもので、私の場合飽きてしまったのだろうと思う。コンテストを楽しんでいる方に止めろというつもりはない。ただ、一頃自分も楽しんだ趣味だったなぁとほんのちょっぴり懐かしく思い出すだけだ。

ここで、自慢のようになってしまうが(実際、自慢できる成果ではないのだが)、賞状ホルダーに挟まっていた賞状と、今でも壁にかけてあるプラークの記録を記しておこう。

1989 WW CW Single Opr(S. Op) All Band(AB) #2 JA1
IARU CW #2 JA

1990 JIDXC Low Band CW 7MHz #1 JA
WW CW S.Op AB #2 JA1

1991 WW CW S.Op AB #3 JA1

1992 IARU CW #1 JA
WW CW S.Op AB #2 JA1
AA CW S.Op AB #3 JA
JIDXC Low Band CW 7MHz #1 JA

1993 JIDXC Low Band CW 7Mhz #1 JA
JIDXC High Band CW 28MHz #1 JA
WW CW S.Op AB #1 JA1 #2 JA
JIDXC PHONE 28MHz #1 JA1

1994 WW CW 7MHz Single Band CW #1 JA

こう列挙してみると、WW CWのオールバンドで、どうしてもJAトップにはなれないことを悟り、7メガシングルバンドにひよって、ようやくJAトップになれた、それを花道に引退、といったところか。1994年に、DXCCCWオーナーロールも得ていた。

その後、ここ13年間は専らラグチュー専門の人生が花開くことになる。


コメント

初めてコメントします

NUTさんこんにちは。
上野と申します。以前、NiftyのCWフォーラムでメッセージをやりとりさせていただいたことがあったような。

NUTさんのコンテストの信号は90年代後半に聞いたことがあったような気がします。私は90年代後半からCWコンテストを中心に無線をしてきました。私はCWが好きで、コンテストだけが好きなわけではありません。私の自宅は茨城の古河市で、シャックは実家がある下妻市です。シャックには時々しか行けないことと、コンテストにPCを活用することが面白くて、コンテスト中心のスタイルになりました。私は、100Wに16mのタワー一本ですから、たいした成績はでませんが、2004年のWWCWはローパワーでJA1位になりプラークをいただきました。この時は28MHzが幸いにもよく開き、オールバンドで1400局程QSOしました。ハイバンドがよく開けば、100Wでもかなり楽しめます。

実は、私、現在、仕事のため、自宅を離れ韓国のソウルに住んでおります。こちらに来て1年ちょっと経ちましたが、来月帰国することになりました。韓国にいる間、無線はQRTでした。帰国すると、古河から東京に通勤することになります。シャックも再整備して復活します。

NUTさんの職場は下館でしたでしょうか? いや、古いですね、筑西市? R294の話題など、懐かしく拝見しておりました。

RXQさん

ようこそ。自宅とシャックが、こちらの近くですね。いつか、お目にかかれる機会もあるのではないかと思います。

私の方は、コンテストは全く卒業で、つい最近まで顔を出していた、AACWも出なくなってしまいました。コンテストの楽しみも分かるのですが・・・。

帰国されるまで、どうぞお気をつけてお過ごしください。

懐かしい話ですね。ボクも始めたばかりの頃を良く覚えています。
今はコンテストもQRP専門です。その気になってやると入賞したりします。

QRPの世界というものは、受信する側でしか私は経験がないのですが、考えてみると、オンエアーし始めた1960年代がQRPの世界そのものだったのかもしれませんね。

コンテストでも引き続きご活躍下さい。

随分昔、V73から鬼澤さんとQSOした時だったでしょうか WWCWにPhil(合ってますかね?)VS6CTから運用しにおいでと言われていると仰っていたような記憶があります。本当に行ったのかとWWのときに注意していました。

そんなことがありましたか・・・記憶の彼方に飛んでいます。VS6CTはFonerだったから、VS6WOか誰かだったかもしれません。一時期、VS6か9Vにコンテストをやりにいってみたいと、少しまじめに考えたことがありましたっけ。9Vは9V1YCのところ・・・。今じゃ、招待してくれたとしても、ごめんこうむっちゃうかな(笑。

OEFさんが、島巡りをしていたのは、その頃だったのですね。時間がたったものですねぇ。

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