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加古川心筋梗塞訴訟 

残念ながら救えなかった心筋梗塞の患者さんの一例。それに対して、莫大な損害賠償の民事判決が神戸地裁で下された。このブログに詳細が記されている。

大まかなこの症例の経過は:
加古川市市民病院の当直時間中、心筋梗塞の患者さんが受診した。当直医は、すぐに診断を下した。当該病院では実施できない、心臓カテーテルによる治療を受けさせるために、幾つかの医療機関に電話で転送受け入れを依頼していた。70分後他院への転送決定。その直後、患者さんが不幸な転帰をとった。

当直時間帯に精一杯の対応をしたが、患者さんが不幸な転帰を取ると、それが医師の責任にされる、という理不尽きわまる判決だ。

これでは、救急医療は成立しない。医療崩壊にまた確実に進んでいる。

コメント

こんな裁判官…

こんなので敗訴になるようだったら本当に怖くて救急患者は診ること自体ができなくなります。

どう考えても、この医師の処置は適切であり、無駄な時間もほとんどないと思われます。

運が悪ければ、どんなに落ち度がなくとも数千万円単位の損害賠償を請求されるわけですね…。医師の年収をはるかに超える額です。

やはりこの救急患者を受けた時点で、この医師の運命は決まってしまっていた、としか思えません。

そうなれば、やはり可能な限り救急患者は受けない、という方向に行くより他にない、と思います。

また数々の学習成果を元にだんだん救急患者の受け入れ先がなくなっていくのだと思います。

こう滅茶苦茶な判決が出たら、救急はやれませんね。如何に規模が小さくても、救急をやるのはリスクを負うことになるなと、私自身思うようになりました。

こうした医療崩壊を起きるに任せている、または促進しているのは、その後に巨大資本による医療支配を導入するためなのですね。米国で満足な医療を受けられるのは、年収600万以上と言います。日本はホワイトエグゼンプションの線を、年収400万で引こうとしている。

さらに、富裕層以外は在宅医療、末期医療には安楽死を認める・・・意図するところは明白なのですが、国民には問題意識がないですね・・・。

救急医療崩壊

ブログ紹介、ありがとうございました。

これで負けたら、もう救急患者を断るしかないですよね。
残念ながら。
どうしたら良いんでしょうか。

Dr.Iさん、断りもせず、リンクを張ってしまい失礼しました。

本当に酷い判決だと思います。さらに詳しい情報など分かりましたら、御教示ください。

当院は僻地の100床レベルのへっぽこ病院ですが、これまで「地域の皆様の利便のために」お受けしていたEMSを、今月から原則受け入れ中止としました。不条理なリスクから身を守るためです、で、結局困るのは市民の皆様なのです。しかし不思議なことに、彼らから収奪しようとしている正当とその内閣の支持率は、なかなか下がる様子がありません。
当院に来る患者さんたちは皆、國の暴虐な施策に怒りを感じておられます。なのに決して社会的ムーブメントにはならない。皆、自分自身が痛い目にあわないと行動しないんですよね。
今回のような、頭がおかしいとしか言いようのない判決に、被害者たる市民こそが怒るべきだと思うのですが…。自分がMIになるまでわかんないんだろうなぁ…(溜息
今後、開業医がかかりつけ医として24時間拘束されるようになるわけですが、彼らがプライマリケア医として緊急疾病を「発見」してしまった瞬間に、彼は医師人生を断たれることが確定するというわけですね。
一体、どうしろというのでしょう。初期診断せずに緊急治療を自前で行えとでもいうのでじょうか?そんな素晴らしい処置は、ぜひ厚生労働省の事務室か、裁判所の待合室ででも行っていただきたいですね。

正当→政党
失礼いたしました。

Akiさん、おはようございます。仰られる通りですね。やはり自ら痛い目に遭わないと分からないのでしょうね・・・これは、無知という問題ではなく、人間の本性みたいなもののような気がしますね。

それに、医師が、医療崩壊の当事者ではないか、自分達の利害で物を言っているのではないか、だったら放っておけ、という意識もあるのではないでしょうか。そういう風に、世論が動く背景には、官僚・政治家それにマスコミの誘導があるのでしょう。

言っても駄目だったら、それはその時。後は、国民の目が覚める時を待つだけということでしょうね。我々は、一応技能者集団だから生きるのに困ることはない、警鐘だけは鳴らしておく、ということになるのではないでしょうか。

救急を、私も徐々に縮小して行こうと思っています。人生の最後を裁判で過ごすなんて、悪夢以外のなにものでもありませんから・・・。

ナチス・ドイツの場合

こんにちは。

>やはり自ら痛い目に遭わないと分からないのでしょうね・・・

「人の痛みは我慢出来る」と言う言葉もありますが、ナチス支配化での生活を送った方の証言を、引用してご紹介します。

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ある言語学者の場合

「一つ一つの行為、一つ一つの事件は確かにその前の行為や事件よりも悪くなっている。しかし、それはほんのちょっと悪くなっただけなのです。そこで次の機会を待つということになる。何か大きなショッキングな出来事が起こるだろう。そうしたら、他の人々も自分と一緒になって何とかして抵抗するだろうというわけです。(ところが)戸外へ出ても、街でも、人々の集まりでもみんな幸福そうに見える。何の抗議も聞こえないし、何も見えない。…何十人、何百人、何千人という人が自分と一緒に立ち上がるというようなショッキングな事件は決してこない。(そうしてある日)気がついてみると、自分の住んでいる世界は…かって自分が生まれた世界とは似ても似つかぬものとなっている。…今や自分の住んでいるのは憎悪と恐怖の世界だ。しかも憎悪し恐怖する国民は、自分では憎悪し恐怖していることさえ知らないのです。誰も彼もが代わってゆく場合には誰も変わっていないのです。」

ある宗教者の場合

「ナチが共産主義者を襲ったとき、自分はやや不安になった。けれども結局自分は共産主義者でなかったので何もしなかった。それからナチは社会主義者を攻撃した。自分の不安はやや増大した。けれども自分は依然として社会主義者ではなかった。そこでやはり何もしなかった。それから学校が、新聞が、ユダヤ人が、というふうに次々と攻撃の手が加わり、そのたびに自分の不安は増したが、なおも何事も行わなかった。さてそれからナチは教会を攻撃した。そうして自分はまさに教会の人間であった。そこで自分は何事かをした。しかしそのときにはすでに手遅れであった。」

人類は前例からなかなか学べないのかも知れませんね(苦笑)

引用元は下記のURLです。

http://www.ne.jp/asahi/nd4m-asi/jiwen/maruyama/third/04.html

丸山眞男さんの思想を敷衍・紹介した文章なのでしょうか。現代の状況に、怖いほどよく当てはまる言葉ですね。自民党政権は、憲法改正・国家統制への道を、少しずつ歩み始め、ここにきて一気呵成にことを進めようとしています。

小泉のようなアジテーターが再び現れ、中国バブルがはじけて深刻な不況、それに個々人の将来への不安が一気に表面化した時に、歴史は繰り返すのかもしれないと思います。

常識ではなく、正しい政治意識を持つことが必要だという言葉に頷かされます。

昔と違うところは、ネットなど水平方向の通信・広報の手段を我々は手に入れたということでしょうか。それを過信するのは誤りだとは思いますが・・・。

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