ドボルザーク8番 

この夏ごろから、ドボルザークの8番の交響曲をどこかのオケで弾きたいと考えていた。この交響曲は、大学オケで弾いた曲の一つで、とても懐かしい曲なのだ。ドボルザークの音楽は、ピアノ五重奏曲や一部の室内楽を除いて、あまりピンとこないのだが、この懐かしさあふれる曲は別だ。私にとって懐かしいのと、曲想自体も懐かしさにあふれている。



福島大学のオケが12月にこの曲を演奏する予定であり、チェロ奏者を探していることを知り、応募してみた。おそらく、大学生の参加者を募集していたのかもしれなかったが、こころよく応じてくれた。で、練習が近づき、よく考えてみると、同大学のキャンパスまでドア トゥ ドアで3時間以上かかる。過酷な練習を終えて、そんな長時間真夜中の高速を走るのは無理だと考えた。大変申し訳ないことだったが、参加をキャンセルさせて頂いた。いろいろ手配してくださった上でのことで、残念かつ申し訳ないという気持ちである。

福島をなぜ選んだのか・・・一つの理由は、私の大学受験時代までさかのぼる。高専を何とか卒業した私は、医学に方向転換する積りだったが、高専の終学年での少なくとも前半は学園紛争で明け暮れてしまった。学生運動をしていたわけではないが、全学集会だ、バリケードの撤去だとやっているうちに、時間はどんどん過ぎていった。また終学年後半には卒業研究もあった。というわけで、受験勉強は殆どせず仕舞。それでも、記念受験よろしく、福島県立医大に受験申請をした。受験会場が、金谷川の福島大学経済学部だったと記憶している・・・ちょっと調べてみると、私の記憶違いの可能性もなきにしもあらずなのだが・・・当時、東北新幹線はまだなく、鈍行か、急行で、福島手前の金谷川まで行った。木造の駅舎がだだっ広い場所にぽつんと建っていた記憶がある。3月上旬で、外に降り立つと、寒風が吹いていた。これからどのような人生が開けるのだろうと、大きな不安と、小さな希望を抱いて、駅前のコンコースに立ちすくんだような記憶がある。福島の金谷川、そこにある福島大学キャンパスは、私の人生の起点であったのだ。そこにもう一度降り立ってみたいというのが、一つの理由だった。

ネットで拾ってきた、昔の金谷川駅・・・私が受験で降り立ったのがこの駅舎だったかどうかは、思い出せない・・・イメージはこんな感じか・・・

kanayagawa-a.jpg

もう一つの理由は、やはり原発事故である。小高町に住んでおられた両親の知り合いに会うために両親を連れて行ったことがあった(以前に記した)。また、母が一時宮城県の施設にお世話になっていたことがあり、何度か福島を通り過ぎた。あの鄙びた美しい浜通りには、親近感を感じていた。その一部が、原発事故で住めなくなった。また、多くの方が今も避難生活を余儀なくされている。趣味を通してということになるが、福島をもっと知りたい、身近に感じたいと念願していた。

福島の人々に対する負い目を、いつか返してゆかねばならないと今も考えている。12月の演奏会には、聴きに行ってみたいと思っている。




コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://nuttycellist.blog77.fc2.com/tb.php/4253-bbf56546