フォーレ 弦楽四重奏曲作品121 

フォーレの最晩年の傑作、弦楽四重奏曲作品121。大学に入り、オケ活動を始めたころに良く聴いた。コンクリートがむき出しの壁に囲まれた、二人部屋。入口の両脇に、山水のスピーカーを置いて、FMから流れる音楽、LPそれにFMを録音したものを、夜になると流していた。この曲もそうしたものの一つだったようが気がする。夜の帳が下り、廊下から時々、談笑する声が聞こえてくる。同室だったK君とたわいもない会話を続け、そのうち、眠りに落ちてゆく。そこでかけられた曲だった。

フォーレは、晩年になるまで、彼の前にそびえる大いなる山々のようなベートーベンの弦楽四重奏群を超えることはできないと、このジャンルの作曲はしなかったらしい。だが、最晩年の一年間をかけて、この曲を書く。美しい旋律の織り成す流れが、その特質だ。ベートーベン後期の弦楽四重奏群と同じように、虚飾や、誇張等が全くない。自由な精神の躍動がある。その点で、ベートーベン後期の弦楽四重奏曲の後を継ぎ、さらに発展させた、と言えるのかもしれない。

以前にも記したが、フォーレは、高音域は低く、低音域が高く聞こえるという聴覚異常を、晩年患った。この曲の試奏も、その理由で断ったらしい。彼の精神のなかで生まれ、純化された音楽ということだ。そうした状況で、これほど高邁な音楽を作れるということは、彼の天才があって可能になったことだろうが、それでもさまざまな機能が徐々に奪われる晩年にあっても、我々はなにごとかを経験し、作りあげることができることを示しているのではないだろうか。

この曲を聴くたびに、あの四方形のコンクリートの箱のような寮の部屋、夜の静けさを思い起こす。

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