post truth politics 

post truth、 脱真実とでも訳すのか、が米国では盛んに問題になっている。事実かどうかは二の次で、人々の感情に訴えかける政治上の手法だ。今回の米国大統領選挙では、Steve Bannonの主宰するサイトBreitbart Newsが、主にClintonを攻撃する事実無根のfake newsを、垂れ流した。こともあろうに、Bannonは、Trump政権のチーフアドバイザーに就任するという。SNSでは、post truth的なポストをいやというほど目にした。ウォールストリートジャーナル紙に対して、Bannonはかってナチス政権下で宣伝を担当したLeni Reifenstahlを参考にしている、と語っていた。この政治手法・報道態度は、ファッシズムを招来する。

わが国の政権はしばしばpost truthを喧伝手法とする。それを受けて、マスメディアは、このpost truthの手法、精神が、徐々に浸透してきているように思える。下記の中野晃一氏のFacebookへの投稿に様々な事例が端的に語られている。

彼の挙げた事例に付け加えるとすると、先の日ロ首脳会談の評価が、マスメディア、とくにテレビでは、安倍政権の代弁者に陥っていることがある。あの会談は、北方領土問題には何も触れず、経済協力だけを得ようとしたプーチンの一方的な勝利だったわけだが、マスメディアは、平和交渉への第一歩だと盛んに、その「業績」を持ち上げている。安倍・プーチン両者の会談後の首脳記者会見を見れば明らかだ。あの会談後、安倍首相は、各テレビ局に出演し、「成果」を宣伝して回っていたが、各番組の司会者は、突っ込んだ議論を彼に仕掛けなかった。会談の乏しい成果だけでなく、この経済協力によって、ロシアがシリア・ウクライナで行っている侵略・武力行使に対する西側諸国の経済制裁から抜け出すことになってしまった。あの会談は二重の意味で失敗だった。だが、それをマスメディアは本格的に追及しない。これは、post truth politicsの一翼を、マスメディアが担いだしていることを意味する。

マスメディア全体を一緒くたに批判するのは行き過ぎだろう。メディアのなかでも、雑誌、ラジオのなかには、事実に基づき報道し、議論しているものがある。TBSラジオの平日夜10時からの「セッショントウェンティトゥ」はいつも出色のでき。だが、全体としては、現政権の政策、外交に批判的な番組、論考は限られたものになっている。特に、国民の大多数が接するであろう、テレビ、インターネットでは、post truth politicsが大きな問題になってきている

国民の多くは、それを理解せぬままに・・・。


中野 晃一氏のFacebookへの投稿を引用~~~

12月15日 12:44 ·
トランプまずいよ、って思ってる人は、日本のまずさもわかったほうがいいと思います。Post-truthつまりポスト真実(真実に基づかない世界)が到来しつつあるということは、啓蒙思想以前の時代つまり中世に戻りつつある、ということ

憲法9条は変わっていないのに、集団的自衛権の行使はできると真逆の読み方ができると、安倍政権が言い出すことで始まりましたが、戦争ができるようにする法律を「平和安全法制」と呼び、南スーダンに「戦闘」はなく「衝突」が起こるだけと言い、「土人」は差別語でないと強弁し(ちなみに「土人」をコンピュータは漢字変換しません。差別語だから)、オスプレイの「墜落」を「不時着」と政府が公式に言い張る。

これはどういうことかというと、客観的な事実や真実よりも国家権力の主観や意図(あるいは主観や意図と主張するもの)が優先する、つまり何が事実か真実かを権力が決めることができる時代が来かねないということです。「墜落」ではなく「不時着」だと言い張るのは、オスプレイの操縦士が着陸させる意図を持っていた(という主張)が、墜落した事実に優先する、ということ。

こういう流れに対して、学問を職業とする大学人が抵抗しないとしたら、それは大学や学問の自死以外のなにものでもないと思うのですが。報道機関も同じこと。いやもうすでに「情報産業」しかないのか?と悪態をつきたくなりますけど。

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://nuttycellist.blog77.fc2.com/tb.php/4316-41fbd217