八木重吉 

夜、寝る前に、寝床の中で、本を読む。雑誌「世界」や、音楽関係の書物、政治経済関係の本、それに原発事故に関する書籍等々。一頃、Jim N3BBの記した小説「Reunion」や、Bob W6CYXに紹介された「Carmel Impresarios」も読んだ。あまり難しい本は、続かない。だが、興味のもてる内容でなくてはだめだ。尊敬する評論家の方が推奨していた、当代売れっ子作家の小説も最近読んだが、後にあまり残るものがなかった。

本棚に、「八木重吉 詩と生涯と信仰」と題する新書版の本があったので、手に取った。関茂著、新教出版社、1965年初版、1976年発刊の第14版である。著者は、教会牧師で、八木重吉の人生を振り返り、そのキリスト教信仰とそれから発する詩作について、深い共感をもって記している。

八木重吉は、昭和2年、30歳の若さで世を去った夭逝の詩人だ。キリスト教信仰に学生時代に捉えられ、信仰に生涯を生きた。彼は、神に仕えるために、すべてを投げうたなくてはならないのではないか、という思いを抱き続けた。幸せな結婚をし、二人の可愛いお子さんに恵まれてからも、その思いは強くなったようだ。しかし、亡くなる一年少し前に、結核に冒されてから、イエスへの絶対的な信仰によって生まれ変わる。この最後の一年に、詩人としての豊かな詩作の時を迎える。しかし、その時期は長くは続かなかった。母上と奥様が見守るなかで、この世を去る。

彼の死後、様々な詩人が、彼の単純な言葉で自らの思いを端的に表現した詩に注目し、また信仰をそうした詩作によって表現したことで多くのキリスト教信者に積極的に受け入れられた。死への病であった結核に冒された人々にとって、彼の詩がもたらした慰めは大きなものがあったのだろう。

私が、十代後半から二十代前半にかけて、無教会主義の聖書研究会に毎日曜日通っていたころ、5、6歳年上のMさんという方と知り合いになった。透明な人柄の方で、農業関係の研究機関にお勤めだった。どのような経緯だったか思い出せないが、八木重吉の詩集を彼から頂いたことがある。「定本 八木重吉詩集」彌生書房刊である。これは、上記の本でも、八木重吉詩集の定番として紹介されている。簡明な言葉で、思いを率直に表現した詩が新鮮だった。今でも、覚えている詩がある。この詩集は、昭和40年に重版で出版されたもののようで、貴重な蔵書を彼が下さったのだと、改めて思う。

この本を読んでいて、この本は誰が購入したのだろうとふと思った。私が、大学生活を送っていた時代。両親は、私と弟への学費を稼ぐために、せっせと共働きをしていた。彼ら二人のうちどちらかが手に入れたのだろう。どのような気持ちで読んだのだろうか。あれから40年前後経って、私がこうして読むことを、彼らは想像していなかったに違いない。だが、そうとは意識していなかったかもしれないが、このように貴重な本を、残してくれた親に改めて感謝の気持ちを抱く。キリスト教信仰から離れてしまった私だが、あの時代を八木重吉の詩に親しみ、聖書を読む時があったことは、無駄では決してなかった。

これからの人生、残り少ない時間は、流行りの本ではなく、やはり時の経過に生き残った、このような貴重な本を読んでゆくべきだろうと改めて思う。

コメント

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

Re: 一年の感謝

cさん

コメントと、八木重吉の名前の訂正をありがとうございます。お恥ずかしい。八木重吉と訂正させていただきました。

母上が亡くなりになられたこと、お悔やみ申し上げます。私の場合も、いくつになっても、母親は母親でした。介護で身近に接することができたことは、母上からの贈り物だったのかもしれません。

今年もありがとうございました。

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://nuttycellist.blog77.fc2.com/tb.php/4336-cf206c49