両親の蔵書・日記 

引き続き、両親が残した書籍、日記、その他を整理し続けている。

無教会主義のキリスト教に熱心に帰依していた両親の蔵書には、同教の様々な独立伝道者、学者の著作集が多い。私も一時その聖書研究会に通っていた高橋三郎先生の著作集は、2セットもあった。一部は私の本棚に移した。それ以外に、内村鑑三の著作集、塚本虎二の「聖書知識」誌が1930年代から60年代にかけて、おそらく欠本はあるかもしれないが、合本されてあった。矢内原忠雄、酒枝義旗、中沢洽樹、岩隈直等々の著作集もあった。武祐一郎・長谷川保・藤林益三・堤道雄等の書籍もある。我が家には、すでに黒崎幸吉著作集、矢内原忠雄の「土曜学校講義」等がある。個人的に存じ上げている方もおり、懐かしい。これから折に触れて、読んでいきたいと思っているのだが、到底読み切れない。子供たちはおそらく引き継がないだろう。ある時期が来たら、どこかのキリスト教関係の図書館・施設、または伝道者、研究者の方に寄贈しようと考えている。

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父は、晩年、戦争責任問題、天皇制問題、慰安婦問題等々に関心を持ち、それらの問題に関するさまざまな書籍を残した。浩瀚な昭和天皇の伝記、ハーバート ビックス著「昭和天皇」二巻は、彼の本棚から持ち出し興味深く読んだ。以前、その読後感をこのブログに記した。今回の整理でも、これらのトピックスに関する、興味深い書物を多数見つけ出した。やはり、私の書庫に移動だ。現在の政治状況によって、第二次世界大戦前後の問題、戦争責任の問題をもう一度勉強しなおす必要を感じている。私の父は、戦時中中国に派遣され、悲惨な状況を目にし、また貴重な青春時代を、兵士として戦争のなかで費やさざるをえなかった記憶、それに侵略した国々の人々への思いから、こうした問題を考えざるを得なかったのだろう。私の知的興味よりはよほど強烈な、何故だったのかという疑問を抱いていたに違いない。

父親は(母もそうだったが)筆まめで、日記を長期間つけていた。以前にも記した通り、それらを読むことは、彼らの内面に入り込むことを意味するので、なんとなく羞恥のようなものを感じていた。ハードカバーの立派な日記を目にすると、父は将来家族の誰かが、それを読むことを予測し、または期待していたのかもしれない、と思うようになった。ちょっと読んでみると、私、私の家族についての記録、記述がかなりある。自分が家庭を持ち、仕事に明け暮れた時には、両親のことはいてくれて当然、時々手助けを頼む程度にしか意識していなかった。この年齢になり、彼らが生活、人生をどのように考えていたのか、一度日記を通して理解してみるべきだろうと考えるようになった。処分せずに、書庫の一部に収めた。

研修医時代に記した論文草稿も出てきた。研修医二年目に、鴨下教授に「ライ症候群」の総説を書くように命じられ、論文を多数集めて、本文だけで1万字を超える総説を「神経内科」誌のために記した。その手書き原稿が出てきた。ワープロはまだなく、まったくの手書き。参考文献だけはタイプされている。ライ症候群の症例を受け持ったことで、教授はその総説執筆の機会を下さったのかもしれない。出来はどうだったのか、自分では分からない・・・まだ臨床もおぼつかない駆け出しで、電顕を使った肝臓の形態学を少しかじり始めたばかりだった。論文の切り貼り作業だったような気がする。が、今でも、狭い官舎のリビングルームで炬燵に足を突っ込んで一生懸命記したことが思い出される。いろいろな事情があって、初期研修をした自治医大を辞め、この総説を書き終えた直後に母校の基礎の教室に戻ったのだった。戻って1年後、自治医大に戻るように声をかけて頂いたのだが、それに従わなかった。鴨下先生には、公私にわたりお世話になるばかりで、その恩にむくいることがまったくなかった。懐かしさとともに、鈍い痛みを伴って、こうしたことが思い出される。信念を持ちつつ、周囲の方へあたたかな思いやりをかけて下さる先生だった。生前一度お目にかかり、感謝を申し上げたかった。

すべてのことは、いつか終わりを迎える。そのための準備を少しづつ進めて行こう。

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