老化と電信 

先日、Ben AA6BKと14メガでお会いした。この2,3年、しばしばお目にかかる方だ。80歳を超した年齢だが、海外旅行によく出かける。来月には、息子さん家族の住むロンドンに出かけるのを楽しみにしている、とのことだった。知的にもしっかりしておられる。

彼は、イスラエルから1960年代に米国に移住なさった方で、一頃、商船の無線通信士をしておられたようだ。受信はいくらでも早くできるのだが、送信がどうもままならないと不満な様子。確かに、短点が多すぎたり、少なすぎたり、また短長点の移行がスムースにいかないこともある。だが、送られる内容自体は問題なく了解できる。その旨、申し上げたが、やはり昔テキパキと送信できていたころがあっただけに、忸怩たるところがある様子だった。

電鍵操作は、手、指、それに一部腕の筋緊張(のコントロール)と俊敏な動きが維持されないと難しい。加齢とともに、筋緊張が増し、筋緊張のコントロールと俊敏な動き両者が難しくなるのは事実だろう。筋肉自体よりも、中枢神経系の老化がその原因だろうから、若い時代の能力を維持し続けるのは難しいのかもしれない。だが、電鍵操作も一種の運動だ。運動を続けることによって、老化の進展を防ぐ、ないし遅くすることはできるのではないだろうか。楽器の演奏も運動の側面がある。昔、チェロの名手ロストロポーヴィッチが、ナショナル交響楽団の指揮者に就任する際に、チェリストとしての技量が落ちるのではないかというニュアンスの質問をされ、「いや、毎日2時間ほど練習を続けるから大丈夫だ」と答えていた。この2時間という練習量に驚かされたものだが、練習を続けることの大切さにこそ目を向けるべきなのだろう。我々が皆ロストロポーヴィッチにならねばならないわけではないのだから。

問題は、老化に伴い、モノローグの一方通行が増えることだ。送信内容が画一化され、自分語りだけになってしまうこと。これは、かなり意識していないと、誰でも歳をとるに従い、生じる問題のような気がする。電信の知的な側面がかかわることであり、常に様々なことに興味を持ち、他者へ関心を抱き続けることが重要なのだろう。老化による知的側面の退行は、将来への関心を抱かなくなること、周囲への興味の喪失、そして自分の殻のなかに閉じこもることとして出現するのではないだろうか。これを完全に防ぐことは難しい。だが、そうならぬようにと意識すること、普段の交信のなかでそうした退行がないか自らチェックすることが大切なのではないか。

運動・知的活動両面から、立派な電信を聞かせてくれる高齢の方にお目にかかると、自分自身願わくばそうありたいと思うものだ。私自身への戒め、目標として記してみた。

でも、意味のある交信自体が少なくなってきているのは繰り返し述べている通りだ。このポストの内容も、何回となく述べたことがある…老化か。

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://nuttycellist.blog77.fc2.com/tb.php/4585-e47b3bdc