原発事故の原因究明、責任の所在の解明は道半ば 

6年前のこの時期、原発がメルトダウンしたことが判明し、米国は原発から半径80kmの地域から米国人が撤退することを勧めていた。放射能プルームが南と北西の方向に向かって飛び、雨によって放射性物質が飯館村とその近隣、そして太平洋岸に沿って茨城、千葉に降り注いだ。茨城の小児病院では、核医学検査室の放射能検出装置が振り切れていた。ガソリンの入手が極めて難しくなっていた。私は、自らの存在基盤が崩れ落ちるような感覚に襲われながら、必死に外で草むしりをしていた。当時の当ブログのポストの一つ、こちら。

あれから年月が過ぎ、ネット上では、あの深刻事故に対する明らかに誤った評価、原発に対する楽観論がしばしば見受けられるようになった。正確な情報を得るべきだ。また、政治の世界では、福島第一原発事故は過去の事柄になりつつある。果たしてそれで良いのだろうか。

あの原発事故のもっとも根本的な原因は、一つには、無定見に原発建設を続けてきた自民党政権の原発政策にある。地震多発地帯にあるわが国で、そのリスクは当然明らかだったが、原発推進利権集団の安全神話により、それが無視され続けた。

2006年、国会で当時の安倍首相は、重大事故への対応をとることは必要ないと答弁している。こちら。安倍首相は、原発推進派の官僚の書いた答弁書にサインをしただけだろうが、当時の行政の長として、大きな責任がある。安倍首相は、第二次安倍政権になってから、原発再稼働を推し進めている。安倍首相は、2006年当時の原発への意識をそのまま持ち続けている。

原発事故の原因究明と責任の所在の解明は、まだ終わっていない。雑誌「世界」2015年2月号から2年間にわたって続けられた、「解題『吉田調書』」で、以下の点が指摘されている。

1)2008年の時点で、東電は津波対策の重要性を十分認識し、具体的な対策も立てながら、その実行を意図的に怠った。

2)事故当時、東電が事故時操作手順書を無視した結果、本来なら防げたはずの2、3号機の炉心溶融を招いた可能性が高い。当時、所長だった吉田昌郎氏は、「原発の運用」ではなく、「メインテナンス」の専門家であり、事故現場でもマニュアルを無視した対応が続けられた。

3)3月15日、早朝、福島第一原発作業員650名が、福島第二原発に「所長の命令に違反して撤退」した。2014年にこの問題を、朝日新聞がスクープし、それに対する激しいバッシングが起きた結果、朝日新聞は記事を取り消した。だが、東電テレビ会議記録や、柏崎刈羽メモから、所長の命令に違反した撤退は、事実であることが分かった。(当時の菅首相が、東電に対して、この撤退が許されないことを強く迫ったことがあたかも彼の誤った干渉であるかのようにネットで繰り返し述べられているが、それは誤り。民間事故調でも、菅元首相のあの働きかけを評価している。東電があの時点で撤退していたら、原発事故はさらに拡大した。もっとも、この問題は、深刻事故の際に誰が命を懸けて対応をすべきか、という重い問題を投げかけている。・・・ブログ主)

曖昧な記述の多い国会事故調も、引き続き原因究明を続けるべきだとしているが、政治の世界での対応は緩慢だ。当時、吉田昌郎氏をはじめ福島第一原発で働いていた771名の方々の調書は、ごく一部が公開されているに過ぎない。吉田調書も全体が公開されていない。原因が究明されないなか、新たな原発安全神話が動き出そうとしている。

次の深刻事故が起きたら、わが国は文字通り立ち直れなくなる。

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