元通信兵だったTさん 

ご近所の一人で、私の両親の時代から親しくさせて頂いていたTさんが、食思不振、腹部膨満等のために近くの病院に入院なさった。昨日、取るものもとりあえずお見舞いに伺った。87歳の飄々とした方だ。少しやせて、身体も動かしずらいようだったが、笑顔で出迎えて下さった。息子さんの話では、すい臓がんらしいとのこと。本人にも告知してあるようだ。

年に一、二度、彼をその家にお邪魔し、お話を伺った。昨年夏、突然、無線をまだやっているのかと問われ、面食らった。その後、何か受信機を持って、また話を伺いに行かなければ、と思いつつ、果たせていたなかった。

昔、彼は、和文電信をやっていたと、昨夏伺った。昨日もその話となった。海軍航空隊の無線部門に所属、現在、茨城の百里基地・茨城空港になっている海軍の基地で、訓練を受けた。受信練習で一文字間違えると、お尻を一発ぶたれた由。その後、三重県鈴鹿市にあった基地に移動した。中波を使い航空機との間で通信を担当していたとのことだ。「ホレ ホレ」と打電し、電文の送信を始めたものだと懐かしそうだった。600、700kmの距離は通信できたとのこと。ゼロ戦に通信機を取り付ける作業も、15歳の彼が行ったようだ。15kgほどの重さの送受信機を、中空に浮かせるように機体に取り付けたらしい。三重のその基地で終戦を迎えられたようだ。本来、空母に乗船することになっていたが、乗るべき空母が全滅してしまい、乗らずに済んだ由。終戦時一か月ほど、その基地に滞在し、飛行機などに取り付けた無線機をすべて取り外し、まとめて爆破したようだ。こうした話をしながら、思いはその当時に飛んでいたようで、懐かしさにあふれた表情をなさっていた。

故郷に帰還後、アマチュア無線を始めてみたかったが、生活に追われて果たせなかったと言っておられた。もっと前に言ってくださればと、残念だった。和文でアマチュア無線を楽しんでいる方のなかには、きっと同じような経歴の方がおられたことだろう。私に話を持ち掛けるのを、遠慮なさっていたのだろうか。農業と酪農をなさっておられ、息子さんが両方ともに跡を継がれたが、経済的に立ち行かなくなり、息子さんの代で両方ともに止めてしまった。息子さん夫婦、それに四人のお孫さんに囲まれて、幸せなリタイア生活を送っておられるように思えた。私がリタイアしてからは、最初に記した通り、年に一、二度、下手な手料理をお土産にお邪魔したのだった。

私が開業してしばらくの間、持病の喘息の治療のために隣町の私の仕事場に通ってくださった。もしかしたら、開業後、患者さんが少ないのではないかと考えて、通ってくださったのかもしれない。そうしたことはあまり語らず、一言、二言、冗談を言って帰って行かれた。

すい臓がんで腹膜まで播種しているとなると、根治は難しいのかもしれない。年齢のこともあるし、苦痛の一番少ない方法で緩和ケアを受けられることになるのだろうか。息子さんによると、恐らく腹水中のがん細胞から判明した病名を告知してから一晩は落ち込んでおられたようだが、その後はいつも通りに戻ったとのことだった。キリスト教信仰を持ち、しっかりした人生を歩んで来られたからなのだろうか・・・。残りの人生の時間を、これまで通りご家族に囲まれて、苦痛に苛まれることなく過ごして頂きたいと切に願いつつお暇した。

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