父の13回忌 

今日は父の13回忌だ。彼が亡くなってから、これまでの時間が、とても長いものに感じられる。社会の動き、そして私の生活自体にも大きな変化があった。

先日、姉が13回忌に寄せてメールを送ってきた。父の年金手続きに用いた書類・・・軍人恩給の書類か・・・を読み返した、とあった。彼が兵役についていたのは、昭和14年から20年までの6年間。20から26歳にかけての青春時代を戦争のさなかで過ごしたことになる。途中、中国中部に一度は送られ、戦場で九死に一生を得た経験もしたらしい。中国の人々にはすまないことをしたと、繰り返し語っていた。教育部隊へ配置され、内地で敗戦を迎えた。

その経験、そしてクリスチャンとしての信念から、戦後は徹底した平和主義者になった。戦争責任の問題をよく口にしていた。それに関連して、天皇制の問題にも関心があったようだ。彼の残した蔵書は、キリスト教関連のもの以外は、ほぼこれらの問題を扱ったものだ。その一部を私自身も読み続けている。戦争責任の問題をうやむやにしたまま戦後を歩みだしたことで、現在の袋小路のような状況があるのだろう。彼の問題意識を受け継ぐという意識は全くなかったのだが、戦争責任、天皇制そして国家神道の問題、一種の選民思想とそれによって戦争に積極的に関わっていった民衆の問題、これらは今後避けて通れない棘になるのではないだろうか。

若い時代は、勉強をする機会がなく、青春を国家によって奪われた。財産を残すことなく、我々子供たちの教育のためだけに一生懸命働いてくれた。晩年は、この田舎で家族に囲まれ、ようやく晴耕雨読の平和な時間を過ごすことができた父だった。人間的には様々な欠点のあった父だったが、家族にとっては、それでも得難い唯一の存在だった。彼がここでその平和な時間をしばらく過ごした年齢に私もさしかかり、どのような思いでいたのか、多少なりとも共感をもって思い起こすことができるようになった。庭の畑で、猛暑のなかふっと涼しい風が吹き抜けると、そこはかとない恵みの時間であることを感じる。おそらく、彼も同じように感じていたに違いない。もう戻って孝行をすることはかなわないが、折に触れて父のことを思い起こすことで、彼への供養としよう。

これからの私の人生は、彼の最後の年月とは違い、大きな嵐が待ち受けているように思えぬこともない。父が、青春を戦争に塗りつぶされたのと同じような経験を、この世に別れを告げるまでの間に私も経験することになるのかもしれない、と時々感じる。この数世代の間、戦争に駆り出されなかった世代は、私たち以降の世代だけなのだ。大きな流れとしては、同じ歴史が繰り返されることはない。だが、個人的な意味では、戦争に匹敵するような事態が待ち受けているのではないか、と時々思う。父が必死に生き抜いたのと同じ切実さ、選択の余地のない状況を生きることが要求されるのではないか、と。

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