FC2ブログ

劣化した自民党議員たちが国民をどこに導くのか 

憲法学者の小林節氏が、最近の自民党議員の劣化振りについて、世襲議員が増えたことと関連付けて論じていた。世襲議員は、生まれながらにして、ぼっちゃん、お嬢ちゃんと育てられ、周囲は彼らを持ち上げる。特権階級意識を生まれながらにして持つ、持たされるのだ。そこから生まれる政治は、国民を支配し、特権階級の権力を強固にすることを目指す。そのためであれば、「嘘」も平気でつく。もちろん、例外はあるかもしれないが、なるほどと思った。小林氏は、長く自民党の改憲に関与してきて、自民党議員をよく観察してきた。それによって得た結論なのだ。

安倍首相は、歴史修正主義に立ち、戦前の制度、政治体制に戻ることを目指している。そのレジームでは、世襲議員の先祖が権力と栄華を独占してきた。その「輝かしい時代」に戻ることが、彼らにとって至上命題なのだ。安倍首相が、現天皇が国民と接するやり方を、裏で笑いものにしているということはよく知られている。天皇制を持ち上げるのは、天皇への崇敬のなせる業ではない。天皇制という国家制度に戻ることで、自らの利権と権力がさらに強固なものになるからだ。そのためには、明らかな嘘も平気でつく。彼らの信念は一種の疑似宗教であり、下々の国民を領導するためには嘘も方便ということになる。

彼らの主張は、歴史修正主義に立ち、周辺国への偏見に満ちている。これまでの歴史をありのままに語ることを、自虐史観だとして否定する。武力には、武力で立ち向かう、それが可能かどうかは見極めない。こうした一見「歯切れよく見える」政治姿勢に、とくに若い世代は共感するのだろう。だが、この青白い歴史修正主義者たちは、国民を新たな隷従へと導こうとしている。それを、安倍政権支持者たちは理解しない。

昨日、衆議院で行われた閉会中審査を全部ではないが、見ることができた。下記の日刊ゲンダイに掲載された白井聡氏の記事と同じ感想だ

以下、引用~~~

安倍政権、改憲こそ究極の「権力の私物化」である
白井聡 | 京都精華大学人文学部専任講師(政治学・社会思想)
7/24(月) 15:10

 安倍政権をめぐって「権力の私物化」が批判の焦点となってきた。森友学園問題は国有資産の払い下げに、加計学園問題は省庁の許認可権限に関係するものである。その意味で、疑獄事件としては古典的な構図を見て取ることができるのであり、長期政権化や、いわゆる「一強」体制となっているといった、政治腐敗を生む典型的な要因が作用している。

 安倍氏の主観としては、「戦後レジームからの脱却」をめざして、憲法改正の大業を「天命」と心得ているというのに、実につまらない事柄が足を引っ張っている、と感じているのかもしれない。しかし、安倍氏が目指す憲法改正こそ、「権力の私物化」の最たるものにほかならない。

 というのも、第2次安倍政権の発足以来、改憲の内容をめぐる総理のスタンスはぶれ続けてきた。2014年初め頃までは、憲法改正手続きに関わる96条の改正を盛んに唱えていたが、やがてそれは封印され、15年末頃からは国家緊急事態条項の盛り込みを唱え始めた。さらには、今年の憲法記念日には、9条に自衛隊の存在を明文化する3項を追加する(しかも、20年施行という期限を定めて)という主張を唐突に打ち出した。また、大学教育無償化を憲法に書き込むという話もいつの間にか加わってきた。

 つまり、一貫しているのは「とにかく憲法を変えたい」ということだけである。この執念の根源には、安倍氏の祖父であり、熱心な改憲論者であった岸信介氏の後継者であるという自負があると思われる。しかしながら、この自負は岸氏に対して失礼である。「昭和の妖怪」とも呼ばれた岸氏は、その功罪について論争含みの存在でありつつも、知的意欲に富んだ、広い視野の持ち主であった。

 これに対して安倍氏は、ポツダム宣言を読んだことがなく、同宣言と原爆投下の時系列も理解していない(『Voice』、2005年7月号)という事例に見られるように、その知的貧困は一国の指導者として許容し得ない悲惨な水準にある。自らの知的不能性を観念的に解消するために、「偉大な祖父」がやり残した仕事(=改憲)をわけもわからないまま受け継ぐと称する行為は、究極の「権力の私物化」である。

 こうした行為を恥ずかし気もなくやれるのは、安倍氏の特権階級意識のなせる業であろう。名門政治家一族の一員として、生まれながらの指導的地位を自明視しているわけである。特権は、それが社会に貢献するもの足りうるには、特権者としての自己に対する厳しい義務意識(ノブレス・オブリージュ)に裏づけられていなければならないが、泥沼のような無知に安住する安倍氏には、このような意識も見出すことができない。

 ただし、右のごとき状況が不正であるのは、日本が近代国家であると仮定する限りにおいてである。かつてのフランスがブルボン家の、ロシアがロマノフ家の持ち物であったのと同様に、戦後日本が、岸家や佐藤家、安倍家の持ち物であるのならば、安倍晋三個人の欲求のために、国家や国民が奉仕させられることに何の矛盾もない。いま問われているのは、この国の民衆に自尊心はあるのか、ということだ。

※本稿は、「京都新聞」7月21日夕刊に寄稿したものです。

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://nuttycellist.blog77.fc2.com/tb.php/5133-03949c0a