政治の私物化へ否を言う 

この解散・総選挙が、安倍首相の政治の私物化であることを、政治・憲法の専門家が語っている。

長谷川教授のポピュリズムへのスタンスはいささか驚かされるが、短期的な視野でみるとポピュリズムが政治を動かす側面も確かにある。

立憲民主党が、リベラル勢力をまとめて立ち上がろうとしている。以前の民進党のように左右が混在した政党よりは、まとまりやすく、また市民連合等との共闘もより容易になるだろう。twitterの伸びも目覚ましいらしい。ぜひ「風を吹かせて」もらいたいものだ。

自民党、維新、それに希望の党は、憲法改正を政治公約に挙げている。憲法改正では、9条の問題以外に、安倍首相が熱心にすすめようとしている緊急事態条項が大きな問題だ。安倍政権のような独断的で憲法無視の政権下で、緊急事態条項が憲法に記載されると、間違いなく、それよって政権は全体主義へ進むことになる。「ナチスのやり口」そのままだ。

リベラルの思想、立憲主義を重んじる人々は、決して少数ではない。政治・行政の私物化、全体主義化を抑えることが現在一番の課題だ。その選択を、この選挙で示したいものだ。

以下、引用~~~

 10月2日付朝日新聞デジタル 「解散権は首相の専権、は誤り」 衆院選巡り専門家対談

 衆院総選挙が10日公示される。安倍晋三首相による唐突な解散に正当性はあるのか。結果次第で大政翼賛的な政治が生まれる危険性をもはらむ総選挙に主権者はどう向き合うべきか。長谷部恭男・早稲田大教授(憲法)と杉田敦・法政大教授(政治理論)に語り合ってもらった。

 杉田敦・法政大教授 今回の解散に正当性があるのか、まずは考えてみましょう。憲法53条には、内閣は一定数の国会議員の要求があれば臨時国会を開かなければならないとある。にもかかわらず、安倍内閣は3カ月も放置しました。

 長谷部恭男・早稲田大教授 53条の規定が設けられた趣旨については、現憲法草案が議論された第90回帝国議会で金森徳次郎国務大臣が説明しています。当時は国会常設制、つまり、内閣に召集されなくても、国会自身がいつ活動を開始していつ終わるのか決められるようにすべきだという意見が有力でした。これに対し金森は、常設制は現実的ではないので、代替手段として、一定数の国会議員の要求があれば国会を召集しなければならないことにしたと言っている。召集要求を無視する内閣が出てくることは想定していなかっただろうと思います。

 杉田 憲法施行後に出された政府見解は、53条に基づく要求があったとしても、内閣は諸般の条件を勘案して、合理的に判断して召集の時期を決めることができるとしています。では今回のような、森友、加計学園をめぐる疑惑を追及されたくないというのは、勘案してしかるべき「諸般の条件」に含まれるのか。

 長谷部 常識で考えれば、含まれません。
 
杉田 国権の最高機関である国会の審議機能を実際上、行政の長が妨害した。憲法違反ではないですか。

 長谷部 53条との関係で言えば、合理的と考えられる時期、準備に必要な2、3週間を超えて召集を引き延ばすのは憲法違反だというのが学界の通説です。

 杉田 そしてようやく国会を開いたら、何の審議もせずに冒頭解散です。解散権は首相の「専権事項」と言う人もいますが、憲法にそんな規定はありませんね。

 長谷部 首相の専権事項というのは間違いです。政府の有権解釈でも、実質的な解散決定権は内閣にあると言っている。現実には、首相は解散に反対する閣僚がいれば罷免(ひめん)して解散を決めることはできるので、首相に主導権があるとは言えますが、専権ではない。首相が自由に議会を解散できるという主張が臆面もなくなされる日本は、主要先進国の中では例外的な存在となりつつあります。

 杉田 かつて日本は、首相の権力が弱いと言われていた。派閥の力が強かったり、慣行上、内閣の合意を重視したりしていたためで、だったら最後、伝家の宝刀として解散権ぐらいは持たせてやろうという類いの議論でした。ところがその後、1990年代の政治改革などで首相に権力が集中していくのに解散権は制約されず、首相が過剰に強くなってしまった。少なくとも、党派的利益に即した解散を制約する必要があります。

 長谷部 上策は、憲法改正してその旨の条文を加えることですが、かなりの時間と労力を要します。現実的な策は、解散権の行使を制約する法律をつくることでしょう。政府や首相に与えられた憲法上の権限を法律で制約している例は、内閣法等にも散見されます。

 杉田 野党側は当初、この解散自体を争点化しようとしていました。選挙の構図が流動化するなか後景に追いやられた感もありますが、選挙ではしっかりと問われなければなりません。

 長谷部 憲法違反すれすれの無体な解散をした政党には、主権者国民がお灸(きゅう)をすえるしかないというのが、52年の吉田茂内閣による「抜き打ち解散」の合憲性が争われた「苫米地(とまべち)判決」の趣旨です。高度に政治的な事柄なので司法に判断はできない、主権者国民が最終的に判断しろと。

■政党政治が劣化/無党派の棄権、自公に好都合

 杉田 お灸をすえるには「受け皿」が必要です。小池百合子都知事を代表とする希望の党が結党され、野党第1党だった民進党が合流へ動いた。この間の動きに、政党政治の劣化を感じます。自民党も民進党も希望の党も、意思決定過程が不透明です。自民党は、党内論議を経ないまま、首相が勝手に消費増税分の使途変更など選挙の争点を設定した。民進党は、選挙で選ばれたばかりの代表がいきなり解党を主導する。希望の党も、何をどこで決めているのかさっぱりわかりません。そもそも政党や政治家は自己利益のためでなく、公的利益の実現のために存在しているという建前を掲げておかなければまずい。ところがいま、みんな自分の生き残りしか考えていないことを白日の下にさらしてしまっている。

 長谷部 社会の利益より政治家の利益。それがとても端的な形で表れているのが、憲法を改正して「合区」を解消しようという自民党の議論です。政治家が自己保身のために憲法を変える。すごいことです。

 杉田 政党は本来、理念や政策を共有する人たちの集まりです。政党は単なる選挙互助会だと言ってしまうと、そんな特定の「業界」のためになぜ何百億円もの税金を使って選挙を行い、人々がわざわざ投票しに行かなきゃならないのか、理由を説明できなくなる。政治的シニシズム(冷笑主義)が広がり、民主主義が成り立ちません。

 長谷部 しかし安倍さんはむしろ、政治的シニシズムが広がることを狙っているのかもしれません。どの政党にも風が吹かなければ、公明党とタッグを組んでいる自民党は有利です。今回の民進党をめぐる騒動を受けて、左派リベラルの無党派層が、くだらない、自分の受け皿はどこにもない、棄権するぞと思ってくれれば好都合だと。善悪を別にすれば、極めて合理的な判断です。

 杉田 日本政治の将来を考えると、その時々に急ごしらえの新党を待望するのではなく、普段からまともな野党を育てるという意識を有権者が持つ必要があるのでは。政党政治の基本は多元性です。各政党が異なる価値観をぶつけ合うことによって初めて妥当な結論が導き出せます。

 長谷部 フランスの政治学者・トクビルは、それぞれの部分利益を追求する政党や結社が競合することが、ひいては人民一般の利益を確保することにつながると言っています。

 杉田 そこに、政権党とは異なる部分利益を代表する野党の存在意義がある。ところが、民進党は長期にわたり支持率が10%に満たなかった。野党第1党がここまで弱っては、小選挙区制の下で頑張れない。解党が決まってから、リベラルの受け皿がなくなると懸念の声が出ていますが、客足の落ちたレストランが閉店を決めると急に惜しむ人たちが出てくるのと同じです。だったらなぜ、育てなかったのか。結局人々は、自民党が暴走した時に、お灸をすえるという役割の範囲でしか野党を求めていないのではないか。

 長谷部 ただ、民進党が支持されなかったのは、やはり政権を担った時のパフォーマンスがあまりにも悪かったからでしょう。官僚組織とけんかして、自分たちで電卓たたいて予算案を書き直すとか、そうしたことへの嫌気がいまも相当残っていると思います。

 杉田 民主党に政権交代する際、ハードルを上げ過ぎたことも否めません。政策実行に必要な財源の根拠を全部示せ、マニフェストに何をいつまでやるか全部書き込めと。そんなこと、できるはずがありません。

 長谷部 メディアも世論も子どもでしたね。初めて政権を担当させて、うまくいかなかったから全否定するというのは、確かに諦めが早すぎます。

■中道左派置き去り/右回転止めないと

 杉田 希望の党は、最終的にどうなるかはわかりませんが、憲法改正と安全保障を「踏み絵」にしてリベラル派を排除し、右に位置取りをしようとしているようにも見える。しかし自民党が安倍時代に右に傾いた結果、世論分布では中道左派の有権者が取り残されている。そこにリベラル新党をつくる余地があるという声も出ていますが、どうでしょう。無党派層はリベラルな政策との親和性が高いが、理念にこだわる人たちだから、小さなスタンスの違いが気になる。大きく支持が広がるとも思えません。風を吹かせたいなら右に寄った方が有利で、少なくとも小池さんはそれしか勝つ方法はないと判断しているのでしょう。

 長谷部 風を吹かせるためには理念も政策綱領もあいまいにしておく必要があります。左派はおおむね、政策や綱領を明確にしなければならない、いい政策をつくれば支持者が増えると思っている節がありますが、それでは風は吹きません。ポピュリズムは全否定されるべきものではなく、世界的にみれば、右派の専売特許でもない。ぼんやりしたポピュリズムでいけば、フランス大統領選で圧勝した中道のマクロンのように集票できる。風をなんとかうまく吹かせて、可能な限り良い結果に向けて努力する。もちろん結果について責任は問われますが。

 杉田 自民党の高村正彦副総裁は「理念・政策を磨いて実行していく責任政党がいいのか、理念・政策を捨てて、票のために野合する政党がいいのか、を選んでもらう選挙だ」と言っています。自己都合で解散しておきながら……ということはさておき、「安倍政権を終わらせる」は、野党が選挙を戦う上での大義になり得るでしょうか。

 長谷部 なり得るのでは。政策があいまいなまま、とにかく何かの旗の下に結集するのはポピュリズムの常套(じょうとう)手段です。「いまなら勝てる」と解散した首相に対抗し、組織力以上の議席を獲得するために、風にはためく旗を立てる。選挙至上主義は問題ですが、選挙に勝たなきゃ始まらないのも一面の真理です。

 杉田 ただ、選挙結果次第では、自民、公明と希望の大連立など、様々な動きが出てくると思われます。大政翼賛的な政治が生まれ、憲法改正が「数の力」で成される危険性も大いにはらんでいる。リベラルな有権者ほど投票先に迷ったり、棄権に走ったりするかもしれません。

 長谷部 安倍さん自身が、今回の選挙では私への信任も問われると言っている。いま右回転しているモーターの電源を切るかどうかが最大の焦点です。ひとつ切ったところで、また別のモーターが右回転し出すかもしれない。その時はまた切るしかありません。次なる夜が訪れることを恐れて、朝が来なくてもいいと考えるのはおかしい。夜が明けないことには何事も始まりません。

(構成 編集委員・高橋純子)

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