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あれから7年・・・ 

あれから7年が過ぎようとしている。東日本大震災、そして福島第一原発事故だ。

大震災は自然災害そのものなので、我々にはどうすることもできなかった。

だが、原発事故は、未然に対策を立てられた。2006年、第一次安倍内閣当時、津波のような自然災害で福島第一原発において、全電源喪失にはならないかと問われた安倍首相は、「それはない、対策は取らない」と答えている。安倍首相に大きな責任がある。
福島第一原発で水蒸気爆発が立て続けに起きた当時、自分の存在が足元から崩れるような感覚に襲われていた。米軍は当時原発周囲半径80kmに居住する米国人の退避を勧告していた。私の住んでいるところは120km圏。もし原発が稼働中のまま爆発したり、風の影響で放射能プルームがこちらに飛んで来たら、退避を余儀なくされていたかもしれなかった。

あの当時、放射能を含む雲、大気は、一つは北西方向に飛び、飯館村等を酷く汚染した。もう一方は、太平洋沿岸沿いに南下し、茨城県南部から千葉の北西部をかすめて、都内にまで飛散した。あの当時、水戸の小児病院で、核医学施設のハザードが鳴りっぱなしだったと、小児科医のMLで報じられていた。

不幸中の幸いなことに、放射能汚染は全体的にみれば、生命に直接悪影響がでるほどではなかったと思われるが、事故当初の放射性ヨードの動態は最初の2週間は計測されていない、または計測データが公表されていない。内部被ばくは少ないとされているが、まだ、小児甲状腺がんなどの最終的な影響は断定できない。茨城や東京でも、雨どいの下など雨が集まる場所等で高線量の場所があることが2年前に報じられていた。また、最近、放射性セシウムがガラスと混合し、きわめて小さなボール状になって飛散したことが初めて報告された。セシウムは水溶性なので、体内に取り込まれても、やがて尿に混ざって体外に排出されると言われてきた(そのために、尿路系に問題を起こすことがあるとチェルノブイリでは報告されている)。ところが、このセシウムボールは、直径が2.6μmと小さく、かつ非水溶性のために、肺の肺胞まで到達し、吸収されずにそこに留まり、放射能被曝を起こし続けると言われている。今のところ、肺がんなどの増加は報告されていないが、今後長期間注目し続ける必要がある。特に、発育盛りの幼小児が放射線への感受性が高いので注意しなければならない。

福島第一原発事故で亡くなった方はいないではないか(だから大きな問題ではない)という議論も時々耳にする。しかし、同事故で関連死した方は1000名を超す。さらに、7万名以上の方が今も避難を余儀なくされている。かなりの数の方々が、故郷を永遠に失うことになる。住む場所、仕事、そして共同体コミュニティを奪われた彼らは社会的に抹殺されたということだ。

福島第一原発事故はまだまだ終わっていない。

私は、あの事故が起きて最初の二日間は電気水等のインフラがない中で生活していた・・・もちろん、被災地の方々に比べれば大したことはなかったのだが・・・apathyの心理状態だった。

17日に、ニューヨークフィルが、被災地の人々、我々への連帯を表明して、武満徹の「弦楽のためのレクイエム」を演奏してくれた。下記の演奏。当時、これを聴いて、涙が止まらなかった。 こちら。

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