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公務員対象訴訟の必要性 

行政の横暴な振る舞いは、政治が正さねばならないとされてきた。だが、異形の政権であったこともあるが、安倍政権は、人事権をもって行政に君臨し、行政を私物化した。政治の問題が行政に反映されたわけだ。

だとすると、市民が直接行政をコントロールする手段を獲得しなければならない。それは、行政を個人レベルで法的に追及する方法だ、というのが井上弁護士の主張なのだろう。

現在の政治による行政の私物化がなくなったとしても、巨大で強固な行政組織が固有の論理で自己主張を始める可能性がある。その主張が誤ったものであり、公的な価値を毀損する場合は、担当行政官を個々に法的に訴えることが必要になる。

行政の無謬性は、誤りであり、行政の誤りは法的な手段で是正されなければならない。

以下、MRICより引用~~~

井上法律事務所所長
弁護士 井上清成

2018年4月19日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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1.公文書管理や指揮監督・忖度の諸問題

ここのところ国政レベルでは、防衛省や自衛隊、文科省や教育委員会、財務省や地方財務局、厚労省や地方労働局などで、公文書管理の問題や政治と行政の指揮監督・忖度といった諸問題が次から次へと発生し続けていた。政治によって行政がゆがめられたのか、それとも、停滞していた行政を政治が正したのか。さらには、政治と行政の間の指揮監督や忖度の問題なのか、それとも、行政相互の間での指揮監督や忖度の問題なのかなど、多面的な問題提起がなされている。
もちろん、国政レベルだけではない。神奈川県立がんセンター問題を巡る神奈川県庁など、地方自治体においても同様の問題が生じている。

2.行政主導・政治主導から市民主導へ

従来型での論点のとらえ方からすれば、それらの諸問題は、行政主導を是とするのか政治主導を是とするのか、という対立であるとして論ずることになろう。「政治によって行政がゆがめられた」などという言説を肯定するのかどうかの対立と言ってもよい。もちろん、国会や地方議会でいつも争われている通り、主導すべき政治の内容そのもののあり方の問題とも評しえよう。

確かにそれらはそれらとして大切であることは間違いない。しかし、それら行政主導や政治主導だけでは、現代の官僚機構や行政組織を上手くコントロールできなくなっていることだけは、すでに明らかであろう。もちろん、そのような考慮から、マスコミやSNSなどを通じた言論によるコントロールも重要性を増している。
しかし、現代においては、もっと一層、国民や市民による直接的なコントロールをも導入しなければならなくなっているようにも思う。行政主導や政治主導だけでなく、それらから市民主導へ、と言ってよい。

3.市民主導の手法としての公務員対象訴訟

市民主導と言っても、理念や言論だけでは意味が薄いであろう。ここで提示したいのは、市民主導という理念や言論を実現するための一つの強力な手法である。それは、市民個々人が直接に、公務員個々人を対象として、その個人責任(特に、損害賠償責任)を追及する民事訴訟にほかならない。公務員対象訴訟と名付けてもよいであろう。

たとえば、真の責任は政治にある場合もあるだろうし、政治にはない場合もあるかも知れない。しかし、いずれにしても、非違行為を直接に行っているのは行政の公務員個々人である。だからこそ、それら行政や政治へのコントロールは、最低限、直接の実行行為者たる公務員個々人には及ぼすことが必要とされるところであろう。と言うよりも、現代はもうすでに、市民主導で公務員個々人にコントロールを及ぼさない限りは、行政主導と言っても政治主導と言ってもいずれにしても、非違行為を抑制できなくなってしまっているのである。

このような現代の行政状況においては、今までの公務員免責の裁判実務を覆し、今こそ、公務員個々人への損害賠償責任を追及する公務員対象の民事訴訟を是認していくべき時であると思う。
つまり、個々の防衛官僚・文部科学官僚・財務官僚・厚生労働官僚や県副知事らに、民事法的な個人責任を直接に負ってもらうのである。市民主導でこのようにでもしなければ、到底、現在の行政状況は改善できそうにない。

4.命令服従よりも法令遵守が重要

民間の市民社会においては、コンプライアンス(法令遵守)が声高に叫ばれている。従来は、会社の組織論理ばかりが重視され、ともすれば、法令遵守〔ほうれいじゅんしゅ〕はおざなりになってしまっていた。法令遵守は、いわば体裁を繕う程度にしか扱われていないことも多かったのである。現代ではそのような風潮を反省すべく、法令遵守が実質化されつつあると評してよい。
ところが、官僚機構・行政組織は今も、かつての民間の市民社会と同様な状況にある。たとえば、官僚機構・行政組織では、命令服従と法令遵守を秤(はかり)にかければ、命令服従が重たい世界とされてきた。典型的な法理論は、古典的な法律教科書であった田中二郎・行政法中巻257頁の記述であり、「公務員関係の秩序を維持するうえからいって、職務上の上司の発した職務命令は
、一応、適法な命令としての推定のもとに、受命公務員を拘束する力を有するものと解すべきである。

しかし、職務命令に重大かつ明白な瑕疵〔筆者注、かし=きず・欠点のこと〕が存する場合には、その職務命令は、無効と解するほかなく、受命公務員は、自ら職務命令の無効の判断をすることができ、これに服することを要しないのみならず、これに服してはならない。」というものである。少し回りくどい言い方ではあったが、要するに、「公務員は上司の職務命令に重大かつ明白な瑕疵がない限り、これに従う義務を負う」というのであった。つまり、法令を遵守しているかどうかは問わず、命令には(ほぼ)絶対に服従しろ、とのニュアンスで言っているに等しい。しかし、現代では、官僚機構・行政組織も、民間の市民社会におけると同様に、命令服従義務よりも法令遵守義務を重視するように改め、法令遵守を実質化していくべきである。

5.故意の権限濫用に対する公務員の個人責任

行政主導・政治主導のみならず、今後は市民主導が重視されねばならない。市民主導の理念と手法を採用することによって、公文書管理や指揮監督・忖度などの諸問題の解決も同時に図っていくのが合理的であろう。
命令服従の義務よりも法令遵守の義務の方を重視して、市民主導による公務員対象訴訟を肯認し、公務員の個人的な損害賠償責任の追及を可能とすることが、現代の行政状況のゆがみを正すために必要であると思われる。ただし、公務の萎縮まではもたらさないようにするために、過失については今まで通りに免責し、故意の権限濫用のみにその個人責任を限定することが合目的的ではあろう。
今後、神奈川県立がんセンター問題などを契機として、国家公務員についても地方公務員についても、それら公務員の個人責任の総合的な見直しを進めていかなければならない。

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