沖縄慰霊の日が問いかけるもの 

昨日は、沖縄の慰霊の日だった。敗戦直前、我が国の政府と軍部は、「国体」の維持だけを考え、沖縄での地上戦により戦争を長引かせる選択をした。それにより、20万人以上の人々の命が失われた。沖縄の民間人の死者は18万人を超え、住民の4人に1人が命を失った。

沖縄戦の映像・証言を、NHKのアーカイブで視ることができる。

沖縄戦 映像・証言アーカイブ NHK こちら。

このアーカイブを視聴したあとに、昨日の式典で高校生が語った詩を聴くと、こころ揺さぶられるものがある。

こちら。

狭い沖縄に、在日米軍基地の7割が押し込められている。普天間基地を辺野古に移転するという。だが、辺野古に作られる基地は、永続的な施設である。政府は、沖縄の基地負担を減らそうとはしていない。むしろ固定化し、永続化しようとしている。

我々、沖縄以外に住む人間が、負担を沖縄に押し付けている。我々は沖縄を犠牲にして生きてきた。

日米安保条約からすると、米国はわが国のどこにでも基地を作ることができると定められている。沖縄の問題は、その意味で隠された我々自身の問題でもある。ガイドライン改定・安保法制により、自衛隊が米軍の世界戦略に基づき、世界のどこででも戦闘行為を行うことが実現しつつある。わが国が、再び戦禍に巻き込まれ、テロリズムの標的になる。

また、沖縄の過酷な地上戦と同じ戦闘を、日本軍はアジア各地で繰り返してきた。それによって、アジア各地の人々に塗炭の苦しみを味合わせてきた。それも忘れるべきではない。

沖縄慰霊の日は、これで良いのかと我々に問いかけている。

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