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無言館訪問 

先週末、長野県上田市の無言館という美術館を訪ねた。

先日、この美術館、その所蔵する作品についてあるテレビ番組で紹介された。それを観て、是非一度訪ねてみたいと思っていた。

この美術館の作品は、第二次世界大戦で戦没した画学生、若い絵描きによるものである。彼らの遺品も収められている。

絶好のドライブ日和。富岡まで高速道路を使って走り、そこから下の道に降りた。母と昔ドライブして、釜飯を食べた横川で昼食をとる積りだった・・・のだが、週末でレストランはものすごい混雑。諦めて下の道を走り続けた。碓氷峠を抜け、軽井沢へ。軽井沢でも渋滞。小諸から高速に再び乗り、上田に着いた。

目指す美術館は、上田市の近郊の小高い山の上にあった。数台駐車場に停まっていた。ナンバープレートを見ると、埼玉や神奈川からの車もある。決して入場者数は多くはないようだが、近隣の方々だけではなく、きっと全国から観に来る方々がいるのだろう。

駐車場から建物まで数十m。きれいに整備されている。

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建物の近くに、パレットの形をした大きな岩盤が置かれており、そこに人名が刻まれている。戦没した画学生、絵描きの名前のようだ。いわば、声なきパレットだ。

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建物は、窓のほとんどない外観で、まるで教会のよう。鳥瞰すると、十字に見える構造になっており、もしかするとこの建物、美術館を創建された方はクリスチャンなのかもしれない。歴史は比較的新しく、20年ほど前に開館したようだ。1979年に開館した「信濃デッサン館」という美術館の分館として始められたとパンフレットにあった。信濃デッサン館は、大正から昭和にかけて夭逝した画家の作品を収めているらしい。

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所蔵の絵画、遺品の撮影は禁止されていた。

美術館のなかに入ると、全面の壁に作品が展示され、通路の中央に遺品類がガラスケースに収められていた。各々にライトが当たり、それらに集中することができるようになっている。雑音や会話の声は全く聞こえず。観覧者は20名前後だったろうか。時間をかけながら、一つ一つの作品に見入っていた。

作品の一つの裸婦像に目が行った。若々しい女性、でもモデルのようには見えない。だが、彼女の姿に美を追求しようとする画家の視線が感じられる作品だ。説明に、この画家は、あと5分、10分だけでも良いからこの絵を描き続けたいと述べて、出征していったとあった。そして、彼は戻ることはなかった。

火鉢を囲む、あたたかな家庭団らんの絵があった。のちに画家の兄が述べたところでは、この画家の家庭は貧しく、このような団らんを経験したことはなかった、おそらく、そうした団らんにあこがれていたのだろう、とあった。この画学生は、貧しい中、美術学校に行かせてくれた家族への感謝を忘れなかった、という。

戦場から戻ることのなかった彼らは、皆同じように、絵を描き続けたい、家族とともにいたいと考えていたのだろう。そうした作品を観ながら、目に涙があふれてきた。

若い画家、画学生は第二次世界大戦敗戦前の2年間に集中して亡くなっている。戦地で病没という方もかなりいる。第二次世界大戦では、300万人以上の方が命を失った。その半数以上が、病死ないし栄養不足による死だと言われている。名誉の戦死等と言うのは、国民を戦地に赴かせるためのスローガンに過ぎなかった。多くが兵站の不足、栄養不足による死であった。いわば、国家が彼らを殺したのだ。画学生、画家でいえば、大多数は、家に戻り絵を描き、家族と幸せに過ごしたいと渇望していたのだ。

また、この侵略戦争でアジア・オセアニアの若人も多く殺したことも記憶されるべきだろう。米軍・同盟軍で命を失った若人も多くいる。

この美術館の展示絵画、遺品は、声高に叫ぶ政治的なプロパガンダ以上に、戦争を繰り返してはならないことを、それを観る者に静かに語り掛けている。機会があれば、また訪れてみたい。

大学生時代に、夏休みに鹿教湯温泉の病院で、病院実習をした。その際に降り立ったのが、上田駅前だった。帰りに駅のコンコースを訪れてみた。当時の土産物屋は見当たらなかったが、駅前の雰囲気はその当時を思い起こさせた。もう半世紀近く経つのだ・・・。

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