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道徳教育に教育勅語を持ち込む 

柴山文科相が、就任早々やらかした。教育勅語を持ち上げ、普遍性を持つ、道徳教育に利用することを考える、と言ってのけた。教育勅語は戦前の皇国史観を背景に持つ儒教的な道徳徳目の羅列であり、そのすべてが、下記の言葉に収れんする。

一旦緩急在レハ義勇公ニ報シ、以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ

国家に緊急事態が起きたら、天皇のために命を投げ出せ、というのだ。戦前にわが国を崩壊させた「道徳」である。徳目の列挙それ自体だったら、教育勅語を持ち出す意味はない。

これについては、各方面から批判をされているのでここでは述べないが、結局、戦前の天皇制のヒエラルキーを再現し、その頂点に立つ天皇の背後に彼ら日本会議の面々は立ち、利権と権威とを得ようと言う魂胆なのだ。安倍政権にあっては、そのヒエラルキーの長点に米国が存在する、異様な国家主義である。安倍政権は、本気でこの体制への復古を画策している。

強調したいのは、政治が道徳を国民に強要するとロクなことがないということ。それに、自分たちは、政権与党の議員達それに高級官僚は政治・行政の場で一体何をしているのか反省はないのか、ということ。改ざん・隠蔽・責任逃れを繰り返し、憲法を蔑ろにしている。汚職腐敗を行っても、1,2年で政権中枢に戻っている。行政現場では、自らに課せられた意に添わぬ犯罪的行為を苦にして自殺した人間までだしている。だが、だれも責任を取らない。こうした状況が、「道徳的」なのか。彼らに道徳を云々する資格があるのか。

不道徳を行う政治家が、国民に道徳を強要する。これは末期的な状況だ。

以下、引用~~~

初入閣の柴山文科相、教育勅語“普遍性持つ部分ある”
10/3(水) 5:32配信 TBS News i

 初入閣した柴山昌彦文部科学大臣は就任会見で、戦前の教育で使われた教育勅語について、「アレンジした形で、今の道徳などに使える分野があり、普遍性を持っている部分がある」などと述べました。

 「(教育勅語を)アレンジをした形で、今の例えば道徳等に使うことができる分野は、私は十分にあるという意味では、普遍性を持っている部分が見て取れる」(柴山昌彦文科相)

 柴山大臣はさらに、「同胞を大事にするなどの基本的な内容について現代的にアレンジして教えていこうという動きがあり、検討に値する」とも話しました。

 教育勅語については、政府が去年、教材として使うことを否定しない内容の答弁書を閣議決定し、野党や研究者らが「戦前回帰だ」などと批判していました。(03日01:31)

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