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EL2FY 

日本から西アフリカと交信することは、容易くない。7メガでは特にそうだ。ショートパスの開ける早朝は、ヨーロッパの壁が出来、さらに北極回りになるため信号の減衰が強いことが多い。交信を狙いやすいのは、この時期、秋に開ける、南太平洋周りのロングパスだ。

今夕、16時半頃、7メガのローエンドにパイルがあり、御本尊を探すと、7007辺りに、5L2MSがおり、ヨーロッパとJAを相手にスプリットで運用していた。オランダのオペによるリベリアからの運用らしい。リベリアは、長い間、政情が安定せず、無線のアクティビティは低かったはず。また外国人による運用が許されるようになったのだろうか(もしかしたら、何年も前に、そのようになっていたのかもしれない)。何度かコールして、応答があった。超一流の運用技術を持っているとは言えないが、ほどほどの速度のCWで頑張っている。

リベリアからの運用で思い起こされるのは、今は亡き斉藤さんJA1XAFによるEL2FYだ。1980年代前半だったろうか、私が某大学病院のレジデントハウスで無線にカムバックして間もなく、7メガで交信させて頂いた。当時は、ベアフットにマルチバンドのGPで細々と楽しんでいた。秋も深まったある日、7メガでCQを私が出していると、EL2FYに呼ばれた。リベリアであることは分かったが、かなり強く、しかし遠距離特有の極かるいフラッターを伴った信号。びっくり仰天である。それが斉藤さんの運用であることはすぐに分かったのだったと思う。彼は、そうして、弱いJAの信号をロングパスで拾い上げ、コールしてくれていたのだろうか。彼のその時の信号は、恰も感動して聞いた音楽と同じように、私の耳に今でも残っている。ゆっくり目だが、ミスのないしっかりしたキーイングであった。

当時の私の住処からそれほど遠くない場所に、無線を運用される彼の実家があった。その後、特に頻繁に交信したわけではないが、コンテストやパイル等で彼の声やCWを聞いたものだった。彼は、その頃、日本の会社の駐在員としてリベリアに長期滞在しておられた。当時、10mマンの集いと称する、28メガの愛好者の集まりが、近くの街であり、そこで初めて彼にお目にかかった。ドスの効いた声の持ち主だが、いつもにこやかで、気さくな方であった。私よりは、多少若くていらっしゃったようだが、1960年代、共にニューカマーであった頃、交信をした記録があったといったお話をした記憶がある。その後、問題を起こして無線から姿を消したRomeo UB5JRRのサポーターであったNT2Xも、そこに来ていたように覚えている。

斉藤さんは、その前後、脳腫瘍に罹られ、治療を続けておられたようだ。一旦は、回復なさり、無線にも復活されたが、その後、再発。無線で彼のコールを聞くことはなくなってしまった。何かの機会があり、彼の奥様から電話で病状を伺う機会があったが、浸潤性のgliomaであり、彼自身、それに御家族にとって辛い闘病生活であったようだ。一度、お見舞いに伺わなければと思っていたが、それが許される前に、彼の訃報を受け取ることになってしまった。

彼は、無線が大好きで、週末に東京から実家に戻り、大きな設備でよく出ておられた。DXの世界では、勇名を馳せた方だった。また、硬骨なところもあり、筋の通らぬことには、DXの大御所の人間にもはっきり物を言っておられた。人生の半ばでこの世を去ったことは、彼にとって無念なことだったろうし、またJAの無線界にも大きな損失だったと思う。

5L2MSの信号をぼんやり聴きながら、斉藤さんのことを改めて思い出したことだった。

コメント

私が28メガBBBでWAZを完成させたときのZone35はEL2FYでした。オールアジアコンテストでのQSOでした。この時のQSOが唯一のZone35で大変貴重なものです。齋藤さんは6mのWACにも大変貢献されましたね。大学のクラブの後輩に齋藤さんのお嬢さんと高校で同じクラスだったという話しを聞いて驚いたことがありました。

28メガは、時期を失しなければ、DXと確実に出来るバンドですね。カリブや、西アフリカが、ローカル並に入感したり、朝方、西アフリカがショートパスで入感したり、VHFに近いパスのバンドだなと感じることがありました。あと数年すると、またあのオープニングが出現するのでしょう。28メガのWAZを完成されたとは、一頃、アクティブに頑張られたのですね。

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