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故郷 

昨日、夕食の食材を買い出しに、隣町のスーパーに出かけた。以前、自分で仕事をしていた時の職場の近くのスーパー。仕事をしていた頃は、仕事帰りにしばしば立ち寄った。

以前にもこのブログに記したと思うが、このスーパーは、あの大震災で被害を受け、1年間ほど休業していた。内部を大幅に改装して、また営業を始めた。店内の様子が変わってしまい、昔の面影はないのだが、店内には当時からの店員もちらほら。昔は、よく患児とその親御さんにお目にかかったが、最近はまず会うことはない。子供たちもみな成長して、親元を離れるか、親と行動を共にすることはなくなったのだろう。

往復ともに、かっての通勤路を走った。最近入手したカメラ、キャノンのコンパクトデジカメ、の試し撮り。

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交通もほとんどなく、大きな音でバッハの管組2番やら、ブラームスの弦楽五重奏曲1番をかけて、突っ走った道。これは行きに撮った。まだ青空。

帰り道、日が暮れかかるころ、おなじみの弁財天の祀られた祠を撮った。広葉樹はすべて落葉している。昔とまったく変わらない。こうして数百年いや千数百年ここに存在し続けてきたわけだ。

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夕暮れ・・・少しアップにしてあるので、画質が良くない。

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はるか北西の方向に、日光連山、男体山が見える。

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こうして写真を撮っていて、確かにこの地域が私の故郷だという感慨を改めて抱いた。人生の半分以上をこちらで過ごしたわけだ。初期研修に自治医大にやってきたときは、仕事のために一時的に滞在する地域という意識でいた。年末になると、家族を車に乗せ、両親の待つ東京都下の町に帰って一晩、二晩過ごすのを常としていた。あの頃は、また東京に戻るかもしれないと漠然と考えていた。あの東京の町が、私の育った場所で、故郷だった。何よりも、両親がそこで生活をしていた。しかし、やがて両親が相次いでこちらに戻ってきて、あの東京の故郷と呼べる場所はなくなった。そしていつの間にか、こちらが故郷になったのだ。もちろん、東京で育った頃の思い出は、記憶のなかに残っているが、もうそれは記憶のなかだけのこと。両親はもういない。

そんなことを、ぼんやり考えていた。

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