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大震災から8年 

あの大震災から8年が経った。まだ5万人以上の方が避難生活を続けている。4万人は、福島県の方々。そのかなりの割合の方は、永久に故郷を失うことになる。震災関連死は、福島県を除いては新たな死亡は殆ど見られなくなったが、福島県だけはまだ徐々に増えているらしい。福島県の震災関連死は、すでに2000名を超えている。

東北地方、とくに福島県の震災からの復興はまだまだだ。福島県の復興の遅れは言うまでもなく、原発事故によるもの。原発の汚染水は増え続け、海の汚染、空中への放射性物質の拡散も続いている。復旧工事に伴い、前年の放射性物質拡散量は、その前の年の二倍になったと報じられている。一番重要な、焼け落ちた核燃料の取り出しは目途も経っていない。

当初、原発復旧には22兆円のコストがかかると言われていたが、つい最近の予測では最大81兆円かかると言われている。被災者と東電の補償費の話し合いも、1,2割の方が不調に終わり、ADRという第三者の話し合い機関による調停も、東電の拒否により成立していないと報じられている。一方、東電は1兆円をこす内部留保を有し、さらに東海第二原発の維持のために毎年1000数百億円を日本原電に支払っている。・・・この状況で、政府・東電は原発再稼働に向けて動いている。

これで良いのだろうか。

大震災当時のことは昨年この日記にも記した。電柱がぐにゃぐにゃ曲がるほどの揺れだった。仕事場の自室では、本棚が倒れ、テレビやオーディオセットが床に落ちていた。床に寝かせてあったチェロは、表板等にかなり深い傷を負ったが、奇跡的に構造自体は助かった。そのチェロを、今も弾き続けている・・・。

以前これも記したと思うが、南相馬市、小高地区というところに、両親の知り合いがかって住んでいた。母が救世軍で看護師をしていた頃、救世軍の下士官だった方。20数年前、両親が東京からこちらに越してきて、リタイアした彼女に会いたいと言っていた。夏休みの一日を使って、両親を車で小高地区まで連れて行った。いわき市を越してから、田園地帯を延々と走った。6号線から少し西側に入ったところに、その方が住む家があった。少し道路から下がったところに、その家があった。私は、その方と直接面識がなかったので、車のなかで待っていた。その行き帰りに、昔話を両親としたような記憶。母が看護師、父はボイラーの維持管理というブルーワーカーだったが、子供たちを育てるのに必死だったのだろう。彼らを二人して旅行(といえるほどのことはなかったが)に連れて行ったのは、これが唯一になってしまった。その後、数年して父は病没。8年前、この震災直後に、仙台の弟夫婦の近くの施設にお世話になっていた母も亡くなった。その救世軍の下士官だった方も、当然もう亡くなっていることだろう。グーグルマップで、彼女の住んでいたと思われる地域を何度か検索したが、家屋がまったく見られない平地になっていた・・・もしかしたら、津波が、あの地域をも襲ったのかもしれない。

小高地区になんとかもう一度訪れて、当時のこと、そこにすんでいらっしゃった両親の友人のことを知り、そして両親との小さなドライブ旅行の思い出を新たにしたいと思っている・・・。

故郷・家族を失い、いまだ避難生活を強いられている人々のことを想いつつ、一日を過ごす。

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