FC2ブログ

NHKの政治報道を、信頼のおけるものに戻すために 

権威主義的政権、ポピュリスト政権が、世界中で増えてきている。彼らは、民主的な政権よりも長く政権を握り、さらに政権から脱落する場合に、そのリーダーの訴追、クーデーター等の事件が契機となることが多い。

そうした政権が長続きするのは、選挙を自らに有利になるように改変するためと言われている。

わが国でも選挙制度そのものには、現政権は直接手を付けていないが、財界と一体化して、きわめて豊富な政治資金を得ており、選挙には野党陣営よりも有利な立場にある。

さらに、マスコミをコントロールし、その動きを支配することも行われている。これが、選挙で有利になる状況を生み出している。

昨今のNHKの政権に異様なまでにベッタリの政治報道は、そうしたマスコミ支配の一環だ。

NHKの予算の認可権を政権に握られ、また上層部の人事も政権の意向で決まる。現在のNHKの政治報道が公正なものと言い難いことは、良識のある職員であれば分かっているはずだ。だが、あの歪な報道をせざるを得なくさせる、NHK内部のシステムの問題がある。

この異様な政治報道が続けられるはずがない。やがて、現政権が倒れ、その政治に徹底した反省と批判が加えられるときに、NHKの体制も改められねばならない。こんな虚偽と改ざん、不正で塗り固められた政権が長く続くと思わない方が良い。

昔の信頼のおけるNHKの政治報道に戻す必要がある。この記事の筆者の述べる通り、公正で的確な報道は、民主主義の成立基盤だからだ。予算・人事の面である程度政権から距離を置き、第三者の組織がNHKを監視する制度にする必要があるだろう。そして、NHKの職員にもう一度以前の信頼のおけるNHKに戻る努力と払ってもらいたい。

西日本新聞より引用~~~

【NHKの政治報道】 平野 啓一郎さん
2019年04月01日 11時00分

◆現政権との関係に疑義

 3月4日、参議院予算委員会の模様を伝えるNHKのニュース7を見て私は愕然(がくぜん)とした。この日は、自由党の森裕子議員が、辺野古埋め立て計画のずさんさを追及するなど重要な質疑があったが、放送では野党は一切取り上げられず、与党議員の質問に、政府が応じる場面だけが映し出されたからである。

 NHKは、5年前に、当時の会長の籾井勝人氏が「政府が『右』と言うものを『左』と言うわけにはいかない」と発言し、批判を浴びたが、最近の政治ニュースの「政府広報」化は、開き直った観さえある。

 なぜなのか?

 根本匠厚生労働相に不信任決議案が提出され、立憲民主党の小川淳也議員が衆議院本会議で、2時間弱にわたって、その趣旨説明を行った日のニュースウオッチ9も、その趣旨の骨子には触れず、野党がただいたずらに審議時間を浪費しているかのような悪質な編集だった。

   ---◆---

 「まさかNHKが?」と思う人は、ネットメディアのハーバービジネス・オンラインで、この報道を検証し、厳しく批判した法政大の上西充子教授の寄稿を見てほしい。

 上西教授の指摘を受けて、その後、小川議員自身が衆院総務委員会で、NHK会長、専務理事に対し、一連の経緯を問い質(ただ)している。このことの是非は議論されるべきだが、政府の介入、または政府への「忖度(そんたく)」があるのではという疑念は拭いきれない。

 NHK側は「自主的な編集判断」で、他の時間帯のニュースでは野党の主張に触れていると説明したが、視聴者は朝から晩までNHKのニュースを見ているわけではない。そんな理屈が通るなら、どこかの目立たぬ時間帯で言い訳のための報道をしておけば、重要な時間帯では何をしてもいい、ということにもなりかねない。

 多くの人が言う通り、私もNHKは全体として良質な番組を放送していると思う。ただ、ニュースの中でも政治報道だけは甚だ疑問である。

 小川議員は、総務委員会で、一体、「どういう過程で原稿が作られているか?」と問うていたが、もし本心からあれがあの趣旨弁明の最重要箇所だったと考えているのならば、その理解力には著しい問題があると言わざるを得ない。

 しかしもし、政権維持のために意図的に歪曲(わいきょく)しているとするならば、報道機関としてはその資格を欠いており、公共放送としては論外である。

   ---◆---

 番組はディレクターからアナウンサー、カメラマン、……と数多くのスタッフによって、日々制作され、放送されている。その全員が、これを素晴らしいことと信じてやっているのだろうか。彼らとて、仕事を終えて、一人でゆっくりものを考えたり、家族や友人と物事の善悪について語り合ったりする時間があるはずだが。現場に対しては、同情的な声も聞くが、内実はわからない。

 問題はNHKだけにあるのではなく、現政権とマスコミとの関係そのものだろう。報道は民主主義の基礎である。公正な情報なくして、国民はどのようにして的確な政治判断を下すことが出来るのか。

 こうした悪(あ)しき前例が、長期の政権維持の秘訣とされるならば、今後誕生するどんな政府も、報道に同じことを求めるだろう。それは、日本の未来にとって、本当に望ましいことなのか? 「自主的な編集判断」とは言うものの、その実、報道機関は既に「弱者」で、私の批判はお門違いなのだろうか?

 私には、わからないのである。ただ、一つだけハッキリしているのは、このままでは、日本がダメになるということである。

 【略歴】1975年、愛知県蒲郡市生まれ。2歳から福岡県立東筑高卒業まで北九州市で暮らす。京都大在学中の99年に「日蝕」で芥川賞。渡辺淳一文学賞受賞作「マチネの終わりに」は映画化され、今秋公開予定。「ある男」で読売文学賞。

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://nuttycellist.blog77.fc2.com/tb.php/7507-902a928d