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皇室祭祀の問題 

現憲法による象徴天皇という規定は、曖昧な側面があり、かつ政治・統治に直接かかわらないという消極的な意味を有する。

戦後、天皇制、とくに皇室祭祀に抜本的な改革が加えられなかったことが、上記の天皇制の憲法による定義と相まって、現在矛盾を露呈している。

皇室祭祀の大多数は、明治時代に近代国家をまとめ上げる中心に皇室・天皇を据えるために新たに設定されたもの。

皇室祭祀をもとにして、現在の日本を皇室中心の国家主義に押し戻そうとする強い動きがある。

我々は、そのアナクロニズムに抗していかなければならない。皇室の人々の人権を守るためにも、皇室をより開かれたものにしてゆく必要がある。

以下、新聞赤旗から引用~~~

【焦点・論点】
天皇「代替わり」儀式の問題点

「祭祀足場に神聖化狙う動き」
宗教学者・上智大学特任教授 島薗 進氏

代替わり儀式において一番懸念すべきなのは国家神道との繋がりだ。
明治維新から1945年の敗戦まで、天皇は天照大神からの「万世一系」の切れ目のない皇統を継ぐ神聖な存在で、その天皇が治める日本は世界に比べるもののない「万邦無比」の優れた国だという信念、天皇崇敬が教育や祝祭日、軍隊、メディアなどを通じてつくられた。

そうした神道的国家体制をつくる上で皇室祭祀が中心に据えられた。今の皇室祭祀は明治期に大幅に拡充されたものだ。現在皇居にあるような宮中三殿 (賢所、皇霊殿、神殿) 、神武天皇の即位日とされる2月11日の紀元節、神武天皇・皇后を祀る橿原神宮なども明治維新後につくられた。

天皇自身が祭祀を行う天皇神祭が始められ、それに全国の神社の行事を連動させた。伊勢神宮に天皇が参拝するのも明治天皇からだ。

神殿を天照大神に捧げ、天皇が神とともに食するという大嘗祭は、大正期以前は宮中の限られた空間で行われ、国民の多くは関与していない。大規模な代替わり儀式は大正になってからだ。

天皇が神秘的な存在だと国民に印象づける大がかりな国家的行事や明確な神道儀式てある大嘗祭への公費支出には疑念がある。

即位儀式とされた剣璽等承継の儀は、神話の中で天照大神が天孫に授けたという「三種の神器」を引き継ぐもので、日本の王権が神聖である根拠だという宗教的理念に深く関わるものだ。これを国事行為とすることは政教分離の点で問題だ。

戦後、GHQのいわゆる「神道指令」は、国家神道のうち、神社神道を国家から切り離し民間の宗教団体とした。しかし国家神道の重要部分であった皇室祭祀には手を付けす、皇室祭祀はほぼそのまま残った。

天皇の位置づけは、戦前の「万世一系」を掲げた憲法から、新憲法での象徴天皇へと天皇の神聖化を抑える方向に転換した。
新憲法の下で皇室祭祀は皇室の私的なものとなったが、同時に天皇は日本国の象徴、国民統合の象徴であり、公的な存在なので、そこに曖昧さがあり、天皇の代替わりに露呈する。

皇室祭祀を公的なものとするのは、信教の自由と政教分離を定めた憲法20条に反する。現憲法の下では、特定の宗教や信念体系が国民に押し付けられてはならないのだ。

皇室祭祀を足場として神聖天皇を求める動き、例えば天皇の役割は空中祭祀にこそあるという主張や、靖国神社に国家的性格を与えようという日本会議などの運動が続いている。

それに対する歯止めとして、思想・良心の自由を保障した憲法19条、それと結びついた20条、公金の宗教団体への支出を禁じた89条がある。

戦前、国家神道、天皇崇敬は一般の宗教とは別だとして国民に押し付けられ、広められ、多くの国民が天皇のために命を投げ出すという悲劇的な結末に追い込まれた。植民地化や侵略など対外的な膨張主義はむろん、国民自身の命が軽んじられた歴史がある。

近代の形成期につくられたものは根が深く、新憲法による転換が押し戻される可能性もある。ことに歴史を肌身で知る世代がいなくなる中で、メディアや教育でも認識が甘くなっている。

先日の天皇夫妻の伊勢参拝の際にテレビニュースに剣璽が天皇とともに伊勢に行く様子が映った。「剣璽動座」と言って剣璽の宗教性、天皇の神聖性を表すもので、従来は映されなかったものだ。戦前、天皇崇敬が猛威を振るった時代の記憶が薄れ、弛みが出ている。あらためて歴史を認識し直すことが求められている。
(2019.5.1 しんぶん赤旗)

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