FC2ブログ

徐京植『プリーモ・レーヴィへの道』 

同名のタイトルのテレビ番組について、以前のエントリーに記した。そこで進行役をしていた、徐京植氏が、その番組の元になる著作を記していることを知り、それを入手し読み終えた。朝日新聞社刊『プリーモ・レーヴィへの道』ISBN4-02-257410-0である。

徐京植氏が、レーヴィの故郷であるトリノを訪れ、彼が絶命した場所まで足を運ぶ。その時々に、レーヴィの生涯を振り返り、その意味を記している。少し鬱屈した、静謐な文体と、時折見せる彼の知的な好奇心に引きつけられる。

レーヴィは、ユダヤ系イタリア人で、トリノ大学で化学を学ぶ。彼の大学時代に、イタリアはファシズムへの道を歩むようになる。大学をようやく卒業したレーヴィは、反ファシズム運動に身を投じる。しかし、すぐにファシストに捕らえられ、ナチスのアウシュビッツ収容所に送られてしまう。そこで死と隣り合わせの生活を経験したが、生き延びて、やがて解放され、生まれ故郷に生還する。そのご、アウシュビッツの証人として文筆活動を活発に続ける。が、1987年、生家で自殺を遂げる。自殺の理由は、理解し難いと徐氏は記している。

しかし、自殺の理由として、可能性のある事柄を幾つか記している。周囲の人々が理解しようとしないこと、ドイツの右傾化を示す歴史家論争、さらにイスラエルの中東戦争における他民族への加害行為といったことなどだ。

レーヴィの死因に関しては、事故説もあるようだ。しかし、いずれにせよ、レーヴィが、アウシュビッツでの死と隣り合わせの生を生き延び、生まれ故郷に戻り文筆活動を活発に行なっていた時に、突然この世を去ったことは、彼が大いなる矛盾・不条理の現実にぶつかり、それを我々への問いかけとして遺して行ったことには変わりないだろう。

生まれ故郷に無事生還し、証言者としての活動をしていたのに、死なざるを得なかったレーヴィに、徐氏は二重の意味で深い共感を覚えているように思えた。

一つは、在日朝鮮人として、迫害と疎外の歴史を負った人間としての立場である。レーヴィの生涯を追いながら、所々で、在日朝鮮人の先達を紹介していることから、徐氏の思いが伝わってくる。

もう一つ、徐氏の二人の兄への思いが、生まれ故郷に生還しつつも死を選ばざるを得なかったレーヴィの生き様への共感に同期しているようだ。彼の二人の兄は、1971年、留学中の故国で、政治犯として捕えられ、20年近く投獄生活を送ることになる。反政府活動の同朋の名を、厳しい取り調べで口にしないように、兄の一人は、自殺を図る。その時に、顔に負った火傷の瘢痕の生々しい、彼の写真を、私も当時見た記憶があった。強い衝撃を覚える写真だった。日本で勉学を続け、研究者・著作家としての道を歩む、徐氏は、二人の兄に大きな負い目を感じていたのではないだろうか。丁度、レーヴィが、証言者として行き詰まりを感じ、ついには自死を遂げるようになったのと同様に・・・。

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://nuttycellist.blog77.fc2.com/tb.php/776-824ef833