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子育ての問題 

今年頂いた何通かの友人の年賀状に、子育ての苦労が記されていた。時に、友人から、子育てについて相談されることもある。自閉傾向、様々な精神的な問題、家庭内暴力、ひきこもり等々。「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである」と、トルストイが語ったが、まさに現実はそのようだ。

あの友人に、あの家庭で、そうした問題が起きるのかと、不条理さを感じることもある。否、そうした場合の方が多い。親の資質・家庭環境などの表層の理解だけでは、到底理解できないことが多い。

人が、家庭を持ち、そこで子に恵まれ、育てて行くという過程が、問題なく行くことの方が、少ないように思える。親の資質、育て方等には全く関わらぬ、よく分からない条件が、子供の成長を決定付けている側面が多いように思える。教育や、躾を否定するつもりは毛頭ないが、子供の成長とは、そうした親や家族の配慮を超えた事象という側面が必ずある。思わぬ能力の発揮といった良い面もあるのだろうが、負の側面も少なからずあるように思える。

人間が有機的につながって、命の流れを形作り、遠い過去から、まだ行方の分からぬ将来に向かって、生命の連鎖を続けて行く。その過程で、さまざまな形質が現れてくるのだろう。そうした子育ての負の側面を、社会全体で支えて、親の負担だけにならぬようにして行くべきなのだろうと思う。成長の可能性を信じて、焦らずに、暖かな気持ちでいることが、とても大切なのだろう。

こうした問題を自分のこととして抱えるある友人が、「子供を育てるのは、闇ですね」と、しみじみと語った言葉が忘れられない。私自身も、未熟な親として忸怩たる思いになることもあったが、そうした「闇」をかい間見ることもあり、卒然とする思いになることもあった。様々な子育ての悩みを抱える友人に対して、できることはただ話を聴くことだけのことが多い。しかし、そうして話を聴くのは、ただ単に聞き流すのではなく、満腔の共感をもって耳を傾けるのだ。

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