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福島県立大野病院事件第12回公判 

上記の速報が、ロハスメディカルに載っている。

御遺族が発言されたようだ。

過失が無いなら、何故亡くなったのか?亡くなった理由を明らかにして、加藤医師に責任を取ってもらいたい、という言葉。突然、家族を失った方の言葉として、理解できないではない。

しかし、お産で亡くなる方は、厳として存在するし、医療の力が及ばず亡くなられた場合に、医師にその責任を負わせることは、適切な対応ではないのではないだろうか。医師も、人間としてそのような患者さんの担当となれば、哀悼の気持ちは抱く。しかし、それはあくま人間としての気持ちの表出だ。医療を仕事とする専門家としては、患者さんの経過を見直し、どうすれば予後を改善できたかを冷静に学問的に検討することが必要となる。それによって、亡くなられた患者さんの死を意味のあるものにする、ということが、医師としての責任の取り方だ。

いずれにせよ、刑法犯として裁かれる、ということはあってはならない。もしそれが常態化するならば、産科医療・救急医療はすぐにでも立ち行かなくなる。





コメント

人は必ず死ぬ…

過失が無くても人は必ず死にます。

以前も、医療者の過失がなければ人は死ぬことがない、との発言を読み愕然としたことがあるのですが…。日本人の死生観とはそれほどまでに乏しいものになってしまったのでしょうか。

人は必ず死にます。
医療はその大前提を変更することができません。
もちろん医療によって救われる命が存在することは事実ですが、それはやはりマイノリティだ、と私、内科医は思います。そしてその命でさえもいつか必ず消えていきます。

仏教では人の世の苦しみを「生老病死」としました。
生きることすらも苦しみであると説きます。それは、死を見つめることの多かった古代ではなおのことそう感じたのではないでしょうか。
「生老病死」は人の世の常なのです。

私自身は、数多くの死を看取り、同年代の者の死もたくさん経験し(学生時代、後輩が4人まとめて事故で死にました…)、世上の必ずしも公平ではないことを知り、自分自身もある覚悟を持って生きていきたい、と念じています。

仰られる通りですね。何時から、日本人の潔い死生観が失われるようになってきたのでしょうか。マスコミ、特にテレビの影響が大きいのかもしれません。官僚も、患者の立場にたってというお題目を繰り返しています。

今朝早く、ノロウイルスと思われる感染にかかり、ふうふう言いながら、仕事をしてきました。まだ、ふらふらです。寒さ厳しい折から、どうぞお体を大切に。

応召義務はずすべきでは

医師法にある応召義務をはずさないと、診療する義務だけあって診療を断る権利なくして過誤があれば逮捕されることになってしまいます。

マスコミが「たらい回し」との文言を使ってどう叩こうとも、専門外、あるいは他の処置中というのは「正当な事由」になるのではないでしょうか?

今起こりつつある救急に関する問題は、結局こういうマスコミの世論操作の果ての出来事と捉えています。

専門外の疾患を「一か八かでやってもらっては困る」と言ったのは福島地検のK検事でしたからね。

確かに、応召義務は問題ですが、実際上それには罰則がないようですし、これほどまでに医療訴訟や、マスコミによる「たらい回し」批判がありますと、応召義務は実質あって無きが如し義務のような気がします。

マスコミは、その内手のひらを返したように、医療崩壊を報じる立場にたって報道し始めることでしょう・・・特に、産経あたり(苦笑。

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