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南相馬市行 

柳美里という在日韓国人の作家がいる・・・その作品を読んだことはないのだが、彼女が、昨年だったか、南相馬市小高地区に移り住み、そこで本屋さんを始めたと語るインタビュー記事を先日読んだ。

柳美里が本屋を小高地区で始めようと考えた理由は・・・そちらにある高校の生徒たちが常磐線で通ってくるのだが、1時間に一本程度しかないため、一つ乗り遅れると長時間待たなくてはならなくなる。小さな駅舎のために中で待つスペースがない、外の階段に腰かけて待っている。彼らが列車が来るまでの時間を過ごすことのできる場所を提供したいと思った、ということのようだった。

柳美里は、家庭的にも社会的にも苦労なさってきた方のようで、若い人々にシェルターのような場所を準備したいと考えている様子でもあった。

南相馬市は、あの事故を起こした双葉町から浪江町をはさんだ北隣の街である。小高地区は、南相馬市の南端、福島第一原発にもっとも近い地区。以前にも一度記したが、小高地区には、両親の友人Sさんが住んでいた・・・もう恐らく亡くなっていることだろう。救世軍の下士官をなさっていた方。20年近く前に、両親を連れて、一度彼女に会いに出かけたことがあった。当時は、常磐高速がいわき市までしか通じてなくて、いわきから下の道で行くのだが、とても遠かった。鄙びた静かな農村が延々と続いていた。

両親二人を同時にどこかに連れて行ったのは、あれだけしかなかったと時々思い出す。あの大震災、原発事故でSさんはどうなさったのだろう。以前、一度Sさんのお住まいのあったと思われる場所を訪れたのだが、弟から聞いた話で、もっと北側の小高地区であると分かった。もう一度小高地区を訪ねて、Sさんの住んでおられたところがどうなったか、確かめてみたいという思いを持っていた・・・年齢的にSさんは既に故人になっておられるだろうけれど。

柳美里の本屋を訪ね、またSさんの消息を知るために、先日南相馬市小高地区を訪ねた。

高速道路は、以前通行止めになっていた、福島第一原発の近傍も開通し、小高地区近くまで高速で行くことができる。いわき以北は一車線になる。以前と変わらない農山村の風景が続く。福島第一原発が近づくと、路肩にある放射線量計の表示が毎時2.5マイクロシーベルトまで示していた・・・これは21mSv以上に相当する。生活者が緊急時に短期間被曝してもよいと言われる限度が20mSvだから、それを超えている。「除染」といって、表面の土壌を薄く剥ぎ、それをプラスチックの袋に入れて山積みにする作業が続けられてきた。だが、あの地域の大部分の面積を占める山野の汚染はそのままである。従って、「除染」というのは土台無理なことなのだ。こちらに住む方にとっては、故郷を少なくとも彼らの人生のスパンでは永久に失うことになった、ということだ。

浪江のインターで降りた。浪江の街は6号線で何度か通り過ぎたことがあるはずなのだが、記憶に乏しい。街並みはきれいに整備されているが、通りに人はほとんどいない。まるでテレビか映画のロケのセットみたいになってしまっている。

6号線に出て、北上。一つ低い峠を越えると、南相馬市、小高地区だ。東側は平坦で太平洋が数km先にある。西側には小高い阿武隈の山々が見える。柳美里の本屋は常磐線小高駅の近くだと記されていたので、駅に向かう。人影はやはりまばら。駅前のコンコースにある小さな花壇で草花の手入れをなさっていた方に伺う。駅からまっすぐ西に伸びる道路・・・恐らく、昔は「小高銀座」とでも呼ぶべきメインストリートだったのだろう・・・その20、30m先にあると教えて下さった。

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普通の人家と全く変わらぬ外観。まだ、看板も出していないようだった。ドアが開いていたので中に顔を出すと、若い従業員らしい方が、「今日は営業していないんです」と申し訳なさそうに私に話しかけてきた。なかを見るわけにはいかなかったが、壁全体が、本の表紙を見ることのできる本棚にしつらえているようだった。本屋の名前は、柳美里の主要作品のタイトルでもある「フルハウス」。

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柳美里の思想や生き方を十分知っているわけではないし、彼女のこの永住はまだ始まったばかり。でも、虐げられた人々の視線でものごとを見、その立場に自分を置くという生き方には共感すること大である。一時的に来るのではなく、永住しようという決断は、そう簡単に下せるものではない。実をいうと、私も、リタイア後は何か福島の方々のためにできないかと思っていた・・・非常勤の仕事でもと思って、福島出身の医師の方にちょっと相談してみたりもした。だが、本格的に動くまでには至らず、時々こちらの地方自治体に寄付をする程度のことしかできていない。柳美里はまだ若いこともあるのだろうが、福島原発事故のあった場所の近くに移り住むということはなかなかできるものではない。これからも注目し、できればサポートしてゆきたいものだ。

Sさんの住居があったと思われる場所・・・かなりうろ覚えになっているし、あの震災で津波が小高地区の東側にまで押し寄せたためだろう、様子が変わってしまっていた。だが、6号線からちょっと西に入った、その場所を大体特定できた。だが、そこは更地になっていた・・・。あの津波で家屋が壊されたのか、それともその後住む人がいなくなり、家が取り壊されたのか・・・いずれにしろ、Sさん、そのご家族は長年住んでこられた故郷をやはり失ったということなのだ。その場所にしばらく佇み、Sさんそのご家族のことを想った。

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帰路は、いわきまで下の道を走った。ところどころに、「帰還困難区域」という立て札が建っていた。これには無性に腹が立つ。あたかも自然現象のために帰還が困難になったかのように我々の意識を誘導しようとしている。本体は、「避難強制区域」なのだ。コミュニティ・家族・仕事を失うことは、社会的に抹殺されることに等しい。それを、我々は傍観している、いやその抹殺する側に立っていると言っても良いのかもしれない。

そして、その抹殺する側も、穏やかな死に向かっていると思えてならない。人口は減り続け、経済活動を示すGDPはドル換算で行くと縮小の一途。一人当たりGDPは、近々韓国・台湾に抜かれる。人々の実質収入も減り続けている。社会インフラも、見渡すとデコボコが放置された道路、錆が放置された橋梁等々が目立つ。あと15年もすると、四軒に一軒は空き家になると予測されている。公文書を改ざんし隠蔽する行政。三権分立が機能しなくなっている。これは近代国家の体をなしていない。

このブログの記事は、わが国の状況を平易な言葉でよく表している。

https://cakes.mu/posts/26826?fbclid=IwAR3B9_EaBzrrBGcRMFTlGMUi4lLU_9M7pubEdcuBoJAe3FWqq4x36AuhCiM

さて、どこに希望を見出して生きてゆくべきなのだろうか。

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