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An eyeball with Bob W7BV 

今日は、Bob W7BVが、やって来る日。仕事を早く終えてと思ったが、お昼近くなって、どっと患者が来院し、悪戦苦闘した。12時過ぎに携帯をチェックすると、彼から留守電が入っていた。12時40分に最寄り駅着とのこと。雪のちらつきだした、畑道を駅に急いだ。

駅前の広場に、大柄のBobが、コートの襟を立てて待っていた。声をかけると、にこっと笑って、旧知の友人のように挨拶。

近くの寿司屋で、少し遅い昼食。後で聞くと、今夜も、教え子達と新宿の寿司屋で夕食を共にする予定だったようだ。別なものを食べさせてあげれば良かった・・・。それでも、おいしそうに寿司を頬張っていた。海栗が苦手な模様。

我が家までの道筋、雪が降っていたこともあって、いかにも人里はなれた田舎に思えたのだろう。日本で、このような場所にくるのは初めてだと言っていた。我が家に着くと、アンテナを興味深げに見上げる。高さや、種類を尋ねられた。コーヒーを煎れるまでの間、バンドをワッチしていた。残念ながら、北米には、どのバンドも開いていなかった。

専門の話・・・ラット等の肝臓などを、開腹した状態で、顕微鏡や蛍光物質でマークした物質を用いて、in vivoの観察をすることが、主要な研究方法だった様子。細胞生物学とはいっても、彼自身、ケースウェウターンリザーヴ大学の医学部の3年まで在学したこともあり、臨床と関連したテーマを扱ってきたようだ。日本からポストドクトラルフェローを何人も受け入れてきたとのこと。慶応や北里の研究者に素晴らしい業績を出している教え子がいると言っていた。私の母校の解剖学教授だった方だけでなく、他の先輩とも近しい関係にあったことが分かり、世界は狭いものだね、と言い合った。

驚いたことに、米国の医学研究では、定年という制度がないらしく、希望すれば、何歳までも働けるようだ。多くの場合、65歳程度で退職するが、中には70歳過ぎても研究を続けている研究者もいるとのことだった。彼は、大学当局とも方針で対立することもあり、2年前に退職をしたが、今でも研究室に出入りし、今年の夏で全てのプロジェクトに終止符を打つことにしている、ということだった。仕事を終えるのは難しくないかと尋ねると、徐々にスローダウンして行く事だと言っていた。

米国でグラントを取る場合、内容の審査が厳しく行なわれる。最近は、経済状態が良くなくなってきているので、研究資金を調達することがなかなか大変になってきた、とのことだ。論文のインパクトファクターも、職を得たり、昇進したりする際に、審査の対象になるが、研究領域が専門的で狭い場合、メジャーな雑誌に投稿し難く、インパクトファクターだけで研究成果を評価しがたいとも言っていた。日本では、インパクトファクターがとても重視されているのを知っているが、と。

リタイアした今後は、アイルランド出身の一族の歴史を研究するつもりだ、とのことだった。この25年間は、年に1,2回日本を研究のために訪れていたそうだが、何時も忙しいスケジュールだったので、無線の友人・知り合いと会うことは一度も無かった様子。奥様ともども日本をゆっくり訪れるようにお勧めした。

無線にも活発に出ていたらしい。10代の頃、父上の影響を受けて、オハイオで無線を始めた。最初に父上から貰った機械は、2球の再生式受信機だったそうだ。父上は天文学者で、1930年台に、アマチュア無線で天文観測のデータの送受を行なっていたとか・・・勿論、CWで。Bobは、1990年前後、転職などでQRTしていた以外は、大変アクティブに出続けていた様子だ。昔は、DXばかり追いかけてばかりいたが、最近は、のんびりCWでラグチューすることが楽しみだ、とのこと。QCWAに所属し、年に数回アリゾナ支部で場所を替えて、集まりをもっているらしい。デイトンにもできるだけ出かけていると言っていた。

最近、イリノイのアンテナ会社(名前を失念)から、15m程の高さのバーチカルを手に入れた。ラジアルを30本程張ってあって、どれだけ良く動作するか楽しみだと言っていた。彼の住まいの敷地は、2エーカー程あるのだが、地域の法規でアンテナを建てられない建前になっているので、アンテナの両側にある、パームツリーに似せて、アンテナに色を塗った。今のところ、近所からクレームは来ていない、と笑っていた。リグは、テンテック、アンプはアルファ99を用いている。

日本には持ってこないが、ヨーロッパに出張の時には、小さなYAESUのリグ、817だったか、と簡単なバーチカルを持参し、無線をするのだとのことであった。

帰りの列車を気にし始めたので、早めに自宅を後にして、最寄の駅にお連れした。彼の研究生活の話を聞いて、正直な感想として、私も彼のように新しいことを見出す研究生活をしてみたかったとボソリと言うと、いやいや、患者さんにとってかけがえの無い貴重な仕事をしているではないかと慰めてくださった。「医療崩壊」についても、一頻りお話をしておいた。気がついたら、お互いにこんな歳になっている、若い年月は何処に行ってしまった、という点では、意見がキッパリ一致(笑)。

彼は、無線の話をする時には、目を輝かして、まるで少年のよう・・・無線と、自宅の庭の手入れ、それに上記のファミリーヒストリーの研究などで充実したリタイアメントを過ごされることだろう。また、米国か日本でお目にかかることを約束して、迎えに上がった、同じ駅でお別れした。帰りの切符も購入し、乗る電車も決めているあたり、さすがに基礎の研究者らしいなと思ったことだった。

コメント

なかなか素晴らしいeyeballでしたね。
昔のことですがHCからHAMが来日した時に電話をもらい、恐る恐る東京のホテルで会ったことなどを思い出しました。
満足に会話もできず散々でしたが、、、

海外の友人を迎えるのは、数年ぶりでしたが、楽しく過ごすことができました。

いやぁ、しゃべれなくなっている、というか、もともとしゃべれなかったのかも(笑。もともとザルのような記憶力が、今後さらに衰えるのかと思うと、落ち込みます。

ま、アンチエージングで頑張りますか・・・。

昨夜7026でCQ出されたところをお呼びして初めてお会いしました。わりと早い時間帯であちらはまだ夜明け前というか真夜中?
最初気がつかず、お決まりのリグやお天気の話をしていましたら、2月に東京い行ったんだよと話てくれたので、仕事ですか?ときいたら北里大で講義をしたこと、そしてShinさんに会ったことを話してくれて、初めてあああの方だと思い出した次第です。次回来日するときはメール下さいと言ったら、年末くらいかなとおっしゃていました。
 Shinさんとアイボールして以来お空で会っていないといっていましたが、私が引っ込んだらShinさんが出てこられたので、良かったと微笑みながら少し狸した後リビングに下りました。
Bobはもうひと眠りするよと言ってましたがShinさんに会えて良い夢が見れたことでしょう。

スイープしていると、東京に行ったとか何とか話しているお二人が聞こえてきたので、しばらく聞いて、終わると同時にお呼びしました。

リタイアしているのに、教え子達から日本に呼ばれている様子ですね。こちらに日帰りで来た、その日の夜、教え子達がシャブシャブパーティを開いてくれたと言っていましたね。そのレストランで桜が咲いていたと・・・幾らなんでも早すぎるので、南の地方から移植してきたものだったのでしょう。

Atsuさんが、日本で一番活発なCWクラブの偉大なfounderであることを紹介し忘れました・・・。

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