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マタイ受難曲の思い出 

今年の復活祭は、今月22日のようだ。春を迎え、復活を待ち望む西洋の伝統の日だ。その前、40日間は、四旬節という復活祭の準備の時期にあたるらしい。キリスト教徒ではない私にとっても、この時期は、一年のなかで特別の時期だ。マタイ受難曲を聴く季節だからだ。

バッハのマタイ受難曲(以下、マタイと省略する)ほど、私のこころを揺り動かす音楽は、他に無い。イエスの受難を予告する大規模な第一曲、イエスの刑死に向けて、徐々に緊張と興奮が高まる劇的な構成、その進行の過程で繰り返し歌われる信仰告白のコラール、そしてイエスが十字架上で絶望の死を遂げ、その後イエスの復活を予兆する平安の音楽で締めくくられる。イエスの受難の物語が、こころの奥深く達する音楽という言語によって、語られる思いがする。

最初にマタイを生演奏で聴いたのは、大学の3年の春だった。解剖実習をしていた時に、指導してくださっていた助手の方が、その日の夜、NHKホールで演奏されるマタイを誰か聴きに行かないかと、実習室で我々に声をかけた。彼が行く予定にしていたのだが、急に行けなくなったということだった。まず一番に手を挙げたのは、私だったのだと思う。彼からチケットを頂戴し、夕暮れの渋谷に向かった。

ヘルムート リリングの指揮する、シュトットガルトバッハアンサンブル・同合唱団の演奏。第一曲から、圧倒された。リリングの演奏を、バッハ研究者の磯山雅教授は、その大著「マタイ受難曲」のなかで、やや平板であると低い評価を与えている(磯山氏は、ピリオッド楽器による新しい解釈のマタイを好まれるらしい)。しかし、私にとっては、リリングのマタイは、あたたかく、そのあたたかさ故に、こころの奥底に迫ってくる音楽だった。音源に収められた彼の演奏を聴いても、同じ思いがする。終曲を聴きながら、何と言うカタルシスを与えてくれるのだろうか、と殆ど驚きにも似た気持ちになったのを覚えている。イエスを歌ったバリトン歌手が、すでに出番を終えて椅子に座っているのに、下を向きながら、バスパートを口ずさむように歌っている姿にもこころ打たれた・・・ソリストの多くは、自分の出番だけを歌うものなのだ。

マタイに関しては、もう二つ忘れられぬエピソードがある・・・私にとっては大切なことなのだが、読まれる方には大したことではないかもしれない(上記のことを含めて、既にネット上で記したことがあるかと思うので、予め繰り返しをお詫び申し上げる)。

学生時代に、オケ活動に現を抜かしていたのは、何度か記したが、オケの中で小さなアンサンブルを組んで、病院等に慰問に訪れたことが幾度と無くあった。オケの定期演奏会よりも、記憶に残っているのは、自分が主宰したアンサンブルだったからだろうか。

ある時、父親が事務員として仕事をしていた医療機関に慰問に行くことになった。マタイに心酔していた私は、マタイから何曲かを演奏することを提案して、実行することになった。本郷にあるアカデミアでマタイのスコアを入手し、何曲かを選び出した。大規模な曲は勿論演奏できかったのだが、選び出した中に、当時の曲番号で47曲「Er barme dich」があった。チェロの同学年の友人が、アルトを歌い、バイオリンソロを当時オケのコンサートマスターをしていた方にお願いした。この曲は、ペテロがイエスを売ったことを後悔して罪の許しを請うアリアである。もともとがバイオリンソロのとても美しい旋律で歌い始められる感動的な音楽なのだが、その演奏会というか発表会では、異様に盛り上がった。アリアを歌った彼女は、技術的にはそこそこのものしか持っていなかったが、歌に込めた彼女の気持ちにはただならぬものが感じられた。私はピッチカートを打ち鳴らしながら、一つの音、一つの旋律もが、こころの深いところに届くのを感じていた。

もう一つのマタイに纏わる思い出。それは、私の父親が、4年ほど前に84歳で亡くなった時のことだった。彼は、輸血後のB型肝炎、それによる肝臓がんを患ったが、塞栓療法などでかなり良い経過をとり、晩年を概ね平安に過ごしたと思う。ただ、晩年には、生まれつきの頑固さが表に頻繁に出るようになり、ある感染症の治療を拒絶してしまい、結果として死を早めてしまった。その時の、私の息子としての対応に問題がなかったか。さらに、彼が亡くなる前日、消化管出血を起したとの知らせが、仕事場の私の元に来た。昼休みに往復2時間かけて仕事場から、彼が入院していた医療機関に駆けつけたのだった。もう話は出来なかったが、書字で簡単な会話を交わすことができた。夕方に輸血することになった・・・B型肝炎の原因だった輸血は、受けたくない様子だった。血圧なども一応落ち着き、顔色も比較的良かったので、私は彼の手を握って、病室を後にした。ところが、その日の深夜、再び大量の消化管出血を起し、彼は誰にも看取られること無く、亡くなった。病室から出ようとする私を、心細げに見つめていた父。何故、その日、ずっと傍についていてあげなかったのか。何時も、私のこころのなかに、それでよかったのかという自分への問いかけが消えることはない。

父の葬式は、その遺言に基いて、キリスト教式で行なわれた。キリスト教徒である、私の姉が、納棺式の間中、マタイをカセットで流していた。音は安っぽいものだったが、まぎれもなくマタイの響きだった。納棺を終え、御棺の蓋を閉めたときに、マタイの終曲の最後の和声が鳴り響いた。これは、意図したことでは決してなかった。

若い日々、戦争で兵士として中国で苦労し、戦後は貧困の中で我々三人の子供を育て上げた父。性格的に、人間的にいろいろと欠点の多い人間だったが、一生懸命働き、家族を愛した 一生を送った。

圧倒的な感銘を与えるマタイの終曲、それが鳴り響くのが終わると同時に、この世の一切の事業を終えた父。私は人格的な神の存在を受け入れることができないのだが、この時 間的な一致に、人生の深い消息を思わずにはおれなかったのだった。

うわ・・・長いエントリーになってしまった・・・最後まで読んでくださった方には御礼申し上げたい。今夜は、リリングのマタイを聴いてみよう・・・。

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