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JH1HDX 10周忌 

この歳になると、先に逝った人々のことをことあるごとに思い出す。

先月6日は、中島守氏JH1HDXの10周忌だった。お墓参りに伺わなければと思いつつ、時間が過ぎてしまった。今日、10周忌に改めて彼との交誼を有難く思いだしていることを記して、わずかなお花料とともに奥様にお送りした。彼のことは、5周忌に比較的詳しく記した。こちら。

そちらのポストに記したこと以外にも、彼とは多くのことを共有させて頂き、またお世話になった。最初にお目にかかったのは、ログを見直してみないと分からないが、1980年か81年の冬、夜更けの21メガだったような気がする。こちらは、ベアフットにバーチカルという設備。彼もワイアーアンテナだったような気がする。夜間になるとさすがにバンドは静まり返り、当時今市市に在住だった彼に呼ばれて交信したのだ。彼は、東京からこちらに舞い戻ってきたばかり。某電池製造の会社にお勤めだった。何度か当時の彼の家に遊びに行ったことがあるが、かなり古びた平屋建ての家で、それに建て増しした狭い空間、恐らく3畳程度の細長い部屋で無線をやっていた。暖房がないとのことだった。あちらの冬はかなり冷え込むはずだったが、それでも寒さには強いんだと強がりを言って、無線に出てきた。

仕事では、恐らく上司にはずけずけものを言うタイプだったのだろう、それが彼の希望だったかどうか分からないが、最後まで現場の仕事を続けた。製品のアフターケアのために、特に東北地方を車で回ることも多かった。日光の山で「民宿」を始めるのが夢だと時々語っており、実際物件を探したりもしていたようだが、ある程度の年齢になるとそれも口にしなくなった。

私がお世話になったことでよく覚えていることがある。30歳台半ばだったころ、学会の関係でスエーデンから高名な学者が、当時勤めていた大学に来られて、その接待で教授とともに鬼怒川の温泉に行ったことがあった。そのようなことは殆どなかったのだが、そのスエーデン人の学者を無事もてなし、翌朝早々にホテルを後にした・・・が、夜殆ど眠れなかったために、かなりグロッキーになり、今市の彼の家に、帰路、突然押しかけて休ませてもらったことがあった。図々しく、こたつに潜り込み、しばらく眠ることができて、何とか自宅に帰ることができた。突然の来訪だったのに関わらず、ニコニコしながら休ませてくれた。

彼は後輩の面倒見がよく、その付き合いもたくさんあったようだが、年月がたてば、やがて思い出す人も少なくなる。私についても全く同じだ。この世の中に生まれ、格闘し、家族を得、そして去って行く。しばらくすると、誰も思い出さなくなる。それで良いのだろう。この世で生きたことは、自分だけが最後まで記憶する。そして、ふっと風が吹くようにいなくなる。それと同時に、我々の生きた思い、出来事はすべて永遠の過去に封印される。それで良いのだ。彼もきっと同じような思いで、この世を去って行ったに違いない。

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