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サンテグジュペリ 夜間飛行 

私が医学教育を受けた頃は、教養課程と専門課程がしっかり分かれていて、専門課程に進むと、語学などの教養科目はなくなってしまった。何時までも続くような錯覚を覚えた、のんびりした教養課程を終えるときは、雑多な教養科目を卒業し、いよいよ医学の専門科目の勉強に進む期待感と畏れで一杯だった。

最初受ける基礎医学の教育では、何しろ記憶すべきことが多く、新鮮ではあったが、教養科目が少し懐かしくなったりしたものだった。専門課程の1年目だったか、解剖学のM教授がフランス語の原書・・・と言っても、専門書ではなく、当時はサンテグジュペリの「夜間飛行」だったが・・・の輪読会を開いていることを知った。その門を叩き、週一回朝8時頃から始まるその勉強会に出させて頂くようになった。他の大学の学生も来ていた。総勢、4,5人だったか。いつも微笑みを湛えて、暖かな人柄のM教授。研究用の大きな机が部屋の中央を占有する、さほど広くない解剖学の研究室。窓から差し込む、初夏の日差し。そして、静謐な「夜間飛行」の文章。解剖学の勉強と同じくらい鮮明に、記憶に残っている。・・・決して、勉強熱心だったわけではないし、フランス語もものになったわけではないが、貴重な青春時代の思い出だ。

サンテグジュペリについての下記のニュースを読んで、そのような他愛も無い記憶がよみがえってきた・・・。


以下、引用~~~

3月16日1時30分配信 読売新聞


【パリ=林路郎】仏誌フィガロ(週刊)などは15日、第2次大戦中、連合軍の偵察任務でP38戦闘機を操縦中に消息を絶った童話「星の王子さま」の著者アントワーヌ・ド・ サンテグジュペリ(1900年~44年)について、同機を「撃墜した」とする元ドイツ軍戦闘機パイロットの証言を伝えた。

元パイロットは、ホルスト・リッペルトさん(88)。44年7月31日、メッサーシュミット機で南仏ミルを飛び立ち、トゥーロン上空でマルセイユ方向へ向かって飛んでいる 敵軍機を約3キロ下方に発見。「敵機が立ち去らないなら撃つしかない」と攻撃を決意。「弾は命中し、傷ついた敵機は海へ真っ逆さまに落ちていった。操縦士は見えなかった」 と回想している。

敵機の操縦士がサンテグジュペリだったとはその時はわからず、数日後に知った。リッペルトさんは、「あの操縦士が彼でなかったらとずっと願い続けてきた。彼の作品は小さい ころ誰もが読んで、みんな大好きだった」と語っている。

サンテグジュペリの操縦機は2000年に残骸がマルセイユ沖で見つかったが、消息を絶ったときの状況は不明だった。仏紙プロバンスによると、その後テレビのジャーナリスト として活動したリッペルトさんは友人に、「もう彼のことは探さなくてもいい。撃ったのは私だ」と告白したという。

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