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新たな「フロンティア」 

ケン ローチ監督作品の「家族を想うとき」という映画が、一部の映画人のなかで評判を得ているらしい・・・私は見ていないのだが。ある男が、運送会社の「個人事業主」制度の下で働き始める。働けば働くほど収入になる。だが、会社は男を完全な監視下に置き、ノルマを達成できなければ大きな罰金を払わせられる。事故のリスクは自分で負わなければならない。そうして男は追い詰められ、家族が解体の危機にさらされる、というストーリーらしい。

この「個人事業主」という制度は、雇う側にとっては旨味のある制度だ。雇うことのリスクを負う必要はなく、福利厚生も不要、年金・退職金も要らない。契約制度なので、いつでも契約を破棄できる。非正規雇用以上に被雇用者にとっては厳しい制度。実際に、社会の中でこの制度が徐々に広まっていると聞く。

水野和夫教授の一連の著書に、資本主義社会の「フロンティア」に注目したものがある。資本主義社会は、資源を獲得し、また市場とするために、「フロンティア」を必要としてきた。東インド会社の時代に始まる、資本主義は、当初、アジア・アフリカのような地理的に辺縁の地をそのような「フロンティア」としていた。だが、アジア・アフリカ諸国が独立し、地理的な「フロンティア」は消滅した。それに代わって、電脳空間に新たな「フロンティア」が出現した。グローバル資本が、天文学的な資金に大きなレバレッジをかけて電脳空間で取引を続けた。だが、それもリーマンショックで破たんした。公的資金を導入し、信用不安を一応回避したが、現在再び進行しているバブルが破たんすると、決定的な信用不安が生じ、金融システムが機能しなくなることが予測されている。そして、現在、資本主義が利潤を上げる対象にしているのが、自国の中間層。彼らの労働環境、労働条件を劣悪化させ、そこから利益を上げている。そこが新たな「フロンティア」になっている。・・・水野教授の考えを敷衍して、現在の状況を記述すると、このようになるのではないだろうか。

だが、搾取されている中間層は、生活の困窮化、劣悪化への批判を、少数者への差別、排外主義等に置き換えるように、マスコミ等を通して教育され、コントロールされている。

この構造を、国民自身が理解しないと、「個人事業主」制度に端的に表れた搾取構造を乗り越えることはできない。

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