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祈り 

この数年来、朝早く目が覚めることが時にあり、ラジオNHK第一の「ラジオ深夜便」に耳を傾けることがある。午前4時から、「こころの時代」というコーナーがあり、そこで、人生の先達となる方々が、自分の人生・信条等を語られる。

先日、産婦人科医の矢内原巧という方のインタビューのほんの最後の部分を聴いた。産婦人科医として、長年仕事をしてきて、診療は最終的には「祈り」なのだということを仰っていた。そして、インタビューの後、インタビュワーとの雑談のなかで、これまで医師として仕事をしてこられたのは、偶然の積み重ねだった(表現は、こうではなかったかもしれないが・・・偶然に支えられてきた、といったニュアンスだった)と仰っていたと、インタビュワーが話していた。

矢内原という名前・・・かの東大経済学部教授で第二次大戦後東大総長を務められた、矢内原忠雄氏のことを思い出した。矢内原忠雄氏は、無教会主義のキリスト教徒であり、戦争中に戦争に反対する発言をして、東大を追われた方だ。矢内原忠雄氏には、フランス文学者の伊作氏がご子息でいらっしゃったと思うのだが、巧氏もご子息なのではないか・・・ネット等で検索したが、まだ分からない・・・。巧氏は、慶応大学の産婦人科教授を務めたあと、神奈川で開業なさっているご様子だ。

「祈り」という言葉は、宗教的な色彩を帯びているが、医師としてなしうることを全力で行い、その後の経過を見守る時の態度として、適切な表現のような気がする。全力での傾倒・集中、しかし、自分の、さらには医学の知識と能力の及ばぬところがあることを率直に認め、患者の回復にこころを集中して見守る姿勢だ。マルチン ブーバーの著作に、祈りは聴くことだという言葉があったような気がする。我々が全力で患者のために医療をした後には、ただ「神の言葉」または自然の摂理と言ってもよいだろうか、そうした人知を超えたものに耳を傾けることが必要なのだ。

自分のことを思い返してみると、そうした祈りの気持ちで患者に接してきたか、忸怩たるところがあるが、基本的な態度は、そうありたいと思ってやってきたつもりだ。・・・しかし、昨今の医療行政・司法には、そうした気持ちを踏みにじり、さらに患者と医師との間を離間させようとする力が働いているように思えてならない。「儲けを得ることが、世の中で唯一最終の関心事」という市場原理主義の暗闇が、医療を飲みつくそうとしている。また、不確実な世界で格闘する医師の立場を一顧だにしない司法がある。

医療の仕事を終えるまで、願わくば、当初の意気込みと、祈るような気持ちを忘れずに歩んで行きたいものだ。矢内原巧氏のように華々しい経歴もなく、田舎の小さな小児科の診療所で細々と仕事をしているだけだが、暗闇に少しでも抗して、仕事を全うしたいものだと改めて思った。

コメント

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Nさん

コメントと訂正をありがとうございます。矢内原巧先生は、矢内原忠雄元東大総長の甥に当たられる方で、教授をなさっていたのは、昭和大学なのですね・・・改めて、訂正させて頂きます。

今後ともよろしくお願いいたします。

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