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RM2D Mats 

一昨日夜、14メガはざっと聞いたところ、閑散としていた。しかし、14051辺りでゆっくりとしたCWが聞こえた。ハンドキーでのんびりとJAと交信するMats RM2Dだった。短点が揃った美しいキーイングだ。彼は最近FOCのメンバーになったスエーデン出身の方で、モスクワ近郊に無線のできる別荘を構えている。普段は、モスクワ市内の自宅で生活しているのだが、新型コロナの流行でstay homeとなり、別荘で過ごすことが多いと、2か月ほど前に聞いた。

彼はどうも輸出入関係の仕事をしているらしく、世界各地から無線で出てくる。ヴェトナムから出てきてお会いしたのは、昨秋だったか。それまでも何度か交信したことはあったが、いつも所謂ラバスタ。そのヴェトナムからの交信で初めてのんびりできた。DXpeditionスタイルの交信ばかりかと思ったら、ラグチューも楽しむ様子。

ハンドキーは、1980年に無線を始めたときに父上が買ってくれたスエーデンキーで、時々、そのキーで手を動かして、接点から出るクリック音を愉しんでいる由。

彼は開局当時は16歳で、1989年までactiveに出ていた。SM6LRRというコール。少し聞き覚えがあるような気もしたが、はっきりした記憶はない。80年代は、私も大学の寮で無線を再開、その後こちらに越してきて、とてもactiveに出ていた時期。彼は専らハイバンドに出ていたということだ。その当時はサンスポットサイクルが下降する時期だったのだが、1980年代前半まではハイバンドでもDXがかなりできた。何しろ、今と比べ物にならぬくらいに、CWを運用するハムが全世界にいた。

彼は今50歳台半ば。仕事に無線にととても活発な様子だ。ロシアに移住した経緯をまた尋ねることができなかったが、恐らく仕事がらみなのだろう。あの当時、当時のソ連、今のロシアから西側のハムがこのように出てくるとは想像だにできなかった。私は、仕事を始め、家庭を築き始めた時期。90年代後半からは、DX・コンテストともにあまり出なくなってしまった。その後、音楽に傾倒するようになり、現在に至るわけだ。彼は、その後学業等で無線から離れてしまい、ここ数年またactiveにカムバックしてきた様子だ。年齢は一回り以上異なるが、同じ時期を無線で過ごした同輩ともいえる。

1980年代半ばだったと思うが、スエーデンの海上移動局と何度か交信した。SM0KHNである。たしか、QRPで、カードも自分で描いた漫画のカードだった。ヨーロッパからケープタウン周りで日本へ航海している商船だったような記憶。彼と交信したのは、その船がシンガポール近くを航海していた時だったような気がする。話は少しずれるが、当時は、電信が船舶通信で生きており、プロの通信士の方が航海の仕事の合間に無線に出てくることが多かった・・・勿論、その後電信が商業通信から姿を消し、そうした通信士のハムは激減してしまった。私は、都内の母校とこちらを行ったり来たりの忙しない生活を送っていた。ハンドルも思い出せない、SM0KHNとはそのような状況でお目にかかり、彼の船が東京に来た時に秋葉原でお目にかかった。まだ20歳台の青年だった。何を話したのか、秋葉原で何をしたのかさっぱり思い出せない。その後、彼の信号を聴くことはなかった。

Matsと同世代か少し上だと思い、彼のことを知らないかと尋ねた。サフィックスが近いこともあるし・・・。聞き覚えはある様な気がするが、はっきりと思い出せない。勿論個人的な付き合いはなかった、との返事だった。それはそうだろう・・・。SMの友人に尋ねてみるとのことだった。SM0KHNは、きっと無線から足を洗ってしまったのかもしれない・・・。

いずれにせよ、Matsは、同じ時代を無線という趣味の世界に没頭して過ごした仲間だ。彼は普段はQRQのてきぱきとした交信振りで、正直に言うと少し忙しないなと思うのだが、それも彼の個性だ。仕事上のネット会議が数分後にあると言って、最後はいつもの高速CWに切り替えて去って行った。

1980年代は、自分の感覚ではちょっと前の出来事なのだが、客観的に考えると、大分昔のことなのだと改めて感じた。昔話ができる相手は貴重だ。

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