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礒山雅教授 学位授与 

礒山雅教授が亡くなって、もうすぐ2か月。彼のブログが、関係者の方により続けられている。ICUで学位を授与されたニュースが記されていた。こちら。ICUでも教鞭を取られておられたことは知らなかった。私も、ごく短期間在籍したあのキャンパスにいらっしゃったのかと感慨を改めて覚える・・・もちろん、彼のおられた時期は、私の在籍よりもかなり後のことだろう。

ヨハネ受難曲についての研究による学位。彼はバッハ研究の泰斗であり、学位は以前に容易に取ることはできたのだと思う。以前のポストにも記した通り、一つの区切りとして昨年からヨハネ受難曲研究をまとめておられた。それが終わり、口頭試問も終えたところで、人生の終止符を打つことになった。まだまだ、やり残したこと、計画されていたことはたくさんあっただろうけれど、人生をこうして終えられたことは、言い方が良くないかもしれないが、見事だったと思える。ご自身で意図したことではもちろんなかったが、それにしても見事な人生だった。

3年前、富山でのマタイ受難曲演奏会に出かけ、彼の短いレクチャーを聴いたのが、人生で唯一彼の肉声を聞く機会だった。舞台の袖にすっくと立ち、富山でマタイを演奏する意義を分かりやすく語りかけておられた。優しく誠実な人柄を反映したスピーチだった。もうあのような機会に巡り合うことがないと思うと、愛惜の念にこころふさがれる思いになる。ヨハネ受難曲の論文が上梓されたら、真っ先の読者になろう。

この次の日曜日は復活祭。

マタイの終りの二曲。こちら。

ブラームス 弦楽四重奏曲2番 

一昨日、お昼近くなって外に出た。大気ががらっと変わっていた。ぬくもりがあり、ひそかに官能を刺激するかのよう。昔、こうした大気を身の回りに感じたことを思い出した。学生時代、お茶の水の神田川の橋の上、そして四谷の桜並木・・・。この春の嵐を経ると、一気に春めいてくるはず。

この時期に思い起こす曲が、ブラームスの弦楽四重奏曲2番。1番の後、速筆でブラームスはこの曲を書きあげたらしい。交響曲の2番にも似て、自由で流麗な旋律に満ちている。1楽章最初の旋律がFAE Frei aber Eismal 自由に、しかし孤独に、だそうだ。FAEというモットーの旋律は、他の曲にも彼は用いている。1楽章冒頭のこの主題、あたたかなそよ風が吹きわたるような感慨を思い起こさせないだろうか。

演奏は、こちら。ゆっくり目のテンポで、のびやかに歌い上げている。この四重奏団、どこかのコンペティションで優勝した団体らしい。若手の有望株か。

先日、急逝された礒山雅先生の著書「バロック音楽 豊かなる生のドラマ」を読んでいる。手に入れたまま本棚に死蔵してあった本。バロック音楽は、生命の満ち溢れた感情表現を目指した動きであったことを知った。パレストリーナ、モンテベルディ、クープラン等、これまでほとんど聞いてこなかった作曲家の作品を聴くべきだと思った。きっと新しい発見があることだろう。

礒山先生の突然の死に接して、人生に何時終止符が打たれるかもしれない、という思いが強くなった。昔懐かしい音楽も、まだ見知らぬ音楽も、聴くことができる間に聴くことだ。これからの人生、やはり音楽を大切に歩んでゆく。

David Gordonからの贈り物 

昨日夕方、買い物を終えて帰宅すると、テーブルの上に米国からの小包が載っていた。差出人はDavid Gordon・・・はて誰だったろうかと思いつつ、小包を開けた。開けながら、あぁ、「Carmel Impresarios」の著者の方だと思いだした。以前のポストに記した通り、同書の校正一覧を送ったところ、とても喜んで下さり、彼の新刊の著作を送ると言ってくださった方だ。もう一月以上経つので、半分忘れかけていたが、約束通り彼の新刊「The Little Bach Book」を郵送してくださったのだ。

タイトルページのところに、彼がacknowledgementを記してくださっていた。

In a shared love of the music of J.S.Bach
and with deep gratitude for reading "Carmel Impresarios"

David
Oregon USA
Feb 2018

彼がこの本を献呈した四人の指揮者の名が記されていた。彼らが演奏会にソリストとして招待して下さらなかったら、現在のようにバッハを知ることはなかっただろう、という言葉とともに。その四名の指揮者の最後に、Helmut Rillingの名があった。とても驚いた・・・しかし、Carmel Bach音楽祭に、Rillingが最近まで定期的に指揮に訪れていたことからして、Gordonとの接点があっても不思議ではない。Gordonは、Rillingに認められるほどの実力を持つテノール歌手だったわけだ・・・。

早速、彼にお礼のメールを差し上げた。無事著書を受け取ったこと。そして、献呈者のなかにRillingの名を見つけて驚いたこと。(以前のポストに記した通り)Rillingがシュトットガルトバッハアンサンブルを率いて東京でマタイを演奏し、その演奏会を聴いたことによりマタイへの私の傾倒が始まったことを記した。1970年代半ばのことだった。私は単に聴衆の一人にすぎなかったが、それでもお二人との不思議な縁を感じざるをえない、とも記した。 彼が、Rilling等の引き立てにより、バッハ音楽デビューする数年前のことだった。

さらに、最近、高名なバッハ研究者である礒山教授が急逝されたこと。多くのバッハ愛好家が悲しみに暮れていることも記した。Gordonの著作は、私のバッハライブラリー(と言えるほど立派なものではないが)の一つとして、礒山教授の著作と同じ本棚に並べられることも・・・。

バッハが取り持つ不思議な縁だ。そして、異国の一読者への約束を忠実に守ってくださったGordonに、感銘を受け、感謝するばかりである。

礒山雅教授逝去 

2月10日にポストした、礒山雅教授のその後を心配していた。今夕彼のブログを訪れると、彼の逝去を知らせるポストがあった。

こちら。

10日のポストに記した内容に訂正がある。彼が博士論文の口頭試問を受けたのは1月26日。そして事故に遭われたのは2月7日ということのようだ。

著書、そして音楽会(富山でのマタイ受難曲の演奏会)でのスピーチだけが彼との接点だった。該博な知識でバッハとその周辺について教えてくださった。ただただ、惜しい方を失くしたと哀惜の念で一杯だ。

10日のポストにも記した通り、マタイ受難曲の後のライフワークとなさっていた、ヨハネ受難曲の研究を博士論文としてまとめ、その試験を受けられた直後の急逝であった。何か大きな人知の及ばぬ計画のもとに人生を締めくくられたように思えてならない。

残された著書、翻訳書をこれからも繰り返し読み、彼の仕事をしのび、また音楽の理解を深めてゆきたい。

くしくも、今日は武満徹の22回忌でもある。

礒山教授の冥福を祈りたい。

マタイ受難曲 第67,68曲。こちら。

音楽体験の旅 

北海道の知り合いの方が、facebookにアップしてくださったyoutube clip。バレンボイムが、音楽の聴き方について語っている。こちら。

彼の言葉で印象に残ったのは、音楽には喜びと悲しみがともにある、そして音楽に能動的に関わることが音楽の喜びを自分のものにするうえで必要なことという内容のことを述べた下りだ。

音楽とは何か、その喜びとは何かという疑問には、様々な側面があり、回答は複数あるのだろう。だが、少なくとも、音楽が情動の深い部分に作用し、そこでは喜びと悲しみが表裏一体、ないし混然となっているように思える。そこに到達するのには、聴く側が、聴くことに集中することが必要なのだろう。

副次的に、その音楽を最初に聴いたときのこと、聴いて特に印象に残った状況等が思い起こされる。情動と深いかかわりがあるので、記憶に残りやすいという消息もあるのかもしれない。音楽を聴いて、その思い出に浸ることも決して邪道なことではない。音楽の与えてくれる喜びの一つだろう。

最近、倉田澄子女史が、トルトリエのマスタークラスで演奏しているyoutube画像に巡り合った。こちら。彼女が30歳の時。ということは1975年。その少しあと、私は上野の文化会館で、彼女が弾くシューマンの協奏曲を聴き、いたく感激したのだった。背筋に電気が走るような感動に襲われたのだ。感動を受けた音楽の思い出にいつもあることだが、その時の状況を昨日のことのように思い出す。

そのマスタークラスでの倉田女史、力強い集中した演奏を聞かせる。トルトリエが男性的な演奏と評しているが、その通りだと思う。倉田女史の演奏音源は多くないのだが、フォーレのソナタ二曲を収めたCDを良く聴く。トルトリエと音楽表現の語法が似ている。むしろトルトリエよりも男性的なほどの力強さ、線の太さである。

バレンボイムの言葉を思い起こしつつ、音楽体験の旅を続けよう。

礒山雅教授が事故に遭われた 

礒山雅氏、というよりも礒山雅教授と呼ぶ方がしっくりくる・・・彼は、バッハ等の研究者で、多くの優れた著作、翻訳書を記している。長く国立音大の教授を務め、数年前には音楽学会の会長でもあられた。音楽を専攻する学生、そして音楽愛好家に対して、教育・啓蒙活動を続けた来られた方でもある。

彼が、昨年夏に、ブログで学位論文について言及なさっていたので、学生を指導して学位を取らせるのかと思っていた。が、ご本人の学位論文であることが分かり驚いたことだった。2月6日が、その審査の日であることを、ブログに記しておられた。

ところが、1月下旬以降、ブログがパタッと更新されなくなった。ブログのコメント欄で、彼のことを良く知る方が、彼がどこかで転倒し入院なさったという情報を上げられた。事故に遭われた日が、学位審査の翌日7日であったという。情報はそれだけしかないので、ただただ彼の快癒を祈るばかりである。

以前にも紹介したと思うが、彼はブログにおいて、平易な言葉で音楽の奥深い消息を語り、また日常のありふれたことを軽妙洒脱に記されていた。ブログはこちら。彼のブログを、私は以前から定期的に訪れていた。3年前だったか、富山で地域のオケ、合唱団がマタイを演奏する、そして彼がその演奏会に関わっているということを知り、その音楽会に駆けつけたのも、そのブログで情報を得たからであった。その旅行、音楽会については以前このブログに記した。

今回の出来事に接して感じたこと・・・

彼は、学位論文をものにしようと思えば、以前から、論文を上梓し学位をとるだけの学識は十分持ち合わせていた。今回の論文は、ヨハネ受難曲についてのものらしいが、本来その仕事は、単行本として出版することを企画しておられたのではないかと思う。仕事も一段落し、単行本以外に学位論文として提出することも併せて考えられたのだろう。恐らく、彼の名作「マタイ受難曲」と双璧をなす書物になるはずである。そうした事情であったとしても、70歳台半ばで学位論文を上梓しようという気力には脱帽だ。学位審査を担当するのは、きっと彼の教え子、または教え子と同じ年代の方々だったのではないか、と思う。

もう一つ、学位審査の翌日、この事故にお遭いになったということも強い印象に残る。まさに「神与え、奪い給う」という厳粛な事実なのではないだろうか。彼には是非回復して頂き、また活発な評論活動を続けて頂きたいものだと思うが、人生の一つの集大成を成し遂げた直後にこうした大きな事故に見舞われたという事実の厳粛さに、身が引き締まる思いだ。自分自身と、彼のような碩学の学者と比べるのもおこがましいが、私自身にもいつ同じような運命が訪れるかも分からない。それを自覚せよ、ということなのではないかと思った。

バロック、バッハそして宗教音楽、否音楽そのものに関心を持たれる方には、彼の「マタイ受難曲」はお勧めだ。

追伸;礒山教授のお名前を訂正いたしました。ご指摘をありがとうございました。

武満徹 22回忌 

今月22日は、武満徹の22回忌だ。

彼の死の直後にNHKが放映した、追悼番組を改めて観た。こちら。この番組をリアルタイムで視聴したうっすらとした記憶があるのだが、高名な作曲家が亡くなられたのか、という感想しか思い出せない。だが、番組の最後で、キャスターを務めた立花隆が突然嗚咽をし始めたことは鮮烈な記憶として残っている。

死ぬ二日前、雪がしんしんと降りしきっていた。入院していた武満は、奥様を気遣い、家に戻るように促す。その夜、彼は、ラジオで放送されたマタイ受難曲を聴く。それはたまたまの偶然の出来事だった。雪が降り続ける静かな夜、武満は一人で静かにマタイ受難曲を聴いたのだ。翌日、「マタイはやはり素晴らしい」と感想を奥様に改めて述べた。生前、武満は、マタイ受難曲、とりわけあの有名なアルトのアリア「Er barme dich」を愛好していた。

このエピソードを紹介する下りで、立花隆は涙をこらえきれなかったのだ。死と生を、二項対立ではなく、互いに寄り添うもの、両者が合い混ぜになった薄暮のなかを我々は生きるというようにとらえていた武満。その武満が亡くなったということへの限りない哀惜の念が思わず吐露された場面だった。

武満は、純音楽から映画音楽まで幅広いジャンルの作品を残した。「死んだ男の残したものは」という作品がある。武満は、この作品を愛染かつらのように口ずさんでほしいと、作詞者の谷川俊太郎に語っていた、とか。この歌は、元来ベトナム戦争に対する反戦歌として作詞作曲されたようだが、平凡な人生を送り、生を終えようとする人々・・・私もその一人だが・・・に対する挽歌のように思える。それを以前のポスト・・・11年前になる・・・に記した。こちら。

「死んだ男ののこしたものは」。

武満が残してくれたものを改めて思い返しつつ、彼の22回忌を迎えたい。

Carmel Impresariosの著者とのやり取り 

以前、「Carmel Impresarios]という本を、このブログで紹介した。こちら。

カリフォルニア、サンフランシスコ近郊のリゾート地、カーメルで、毎夏、カーメルバッハフェスティバルという音楽祭が開催される。その歴史、同地域の歴史、それにアメリカのクラシック音楽活動の歴史を概観する力作だ。

この本を読んで、いくつか誤植の類があることが気になっていた。一応、校正を一覧にして、著者に送ろうと考えていたが、同書を紹介してくれたBob W6CYXが、それは要らないのではないかと言ってきたので、その一覧は、PCのファイルとして眠っていた。だが、やはりせっかく作ったのだから、参考のためにお送りした方が良いだろうと考え・・・さもないと、このPCのHDがクラッシュすると、大げさに言えばこの世から無くなる・・・昨日、メールに貼付してお送りした。

著者のDavid Gordonは、早速丁寧な返事を下さった。本を読んでくれてとても有難い、この本は2014年に初版を出版した、同年7月のバッハフェスティバルに間に合わせるために急いで出版した、一応試読をしたのだが、多くの誤植があることに初版出版後気づき、2015年に第二版を出した、私が指摘した点、三つはまだ訂正されていない誤りだったので、次の版で訂正しコメントに私の指摘について記したい、とのことだった。とても喜んで下さった様子が、文面から伝わってきて、メールをお送りして良かったと改めて思った。

たった3年前のことだが、毎夜、楽しみに読み進めた本、その改訂に少しでも力にならたとしたら望外の幸せだとDavidに書き送ることにしよう。

Turina ピアノ四重奏曲イ短調 

この曲を演奏している団体、Camerata Pacificaは、カリフォルニア州サンタバーバラに本拠を置く室内楽を演奏する音楽家たちの集団。このチェリストが、アンサンブルの中心で音楽を作り出している。

サンタバーバラは、太平洋に面する美しぃリゾート地。そう、Merle K6DC、それにW6GTI、W6THN等がかって住んでいた町だ。

この曲を作曲したTurinaは、前世紀の前半に活躍したスペインの作曲家。フランスで音楽教育を受け、フランス近代の作曲家たちから大きな影響を受けた。しかし、スペインの民族音楽を音楽の核として、この曲のように美しいユニバーサルな音楽を作曲した。

この曲は、イ短調という悲しみの調性でありながら、晴れ渡った青空を思わせる音楽だ。弦がユニゾンで動くことが多い。時に、単一の弦楽器が、recitative風に旋律を奏でる。まるで独白しているかのようだ。そして、そこかしこに、洒脱な旋律と旋律の受け渡しを聴くことができる。この1楽章の終わり方なぞ、あっと思わせる。繊細さと、親密さが全曲を通して流れている。

帳の降りた夜、ワインを片手に、耳を傾けるのに格好の音楽。こちら。

Merleや、他の友人も、すでに亡くなってしまった。

チェロについてのニッチな観察 

チェロの話・・・

チューナーを用いて、音程を確認するようになって、ある現象に気づいた・・・もしかすると、良く知られていることなのかもしれないが・・・。

C線の開放弦をフォルテで弾くとき、弾いている間わずかに音程が高くなる(Δf1)。これはわずか。そして、弾き終わった直後、音程が下がる(Δf2)。先の音程が高くなる偏位より、低くなる偏位の方が大きい。耳を凝らして聴くと、音色の変化として、チューナーの示す音程の変化を感じることができるように思える。

他の弦でもありそうだが、目立たない。

私の使っている弦特有の現象ではなさそう・・・確認はしていないが・・・。

直観的に、弦に加わる張力の変化が関係するのではないか、と思った。で、弦の共振周波数について調べた・・・

http://wakariyasui.sakura.ne.jp/p/wave/koyuu/genn.html

確かに、張力Sの平方根√Sが共振周波数と比例する。当然のことながら、弦の長さlも比例する。

フォルテで弾く際に、弓で弦が引っ張られて、張力が上昇する。それによってΔf1が生じる。その際に、わずかながら弦の長さが増加する。その後、弓が弦から離れて、引っ張る力が消失しても、数分の一秒間、弦の伸びは継続する(それは、張力の下降も生じる)。この変化がΔf2を生じる。その後、定常状態に戻る。

張力の変化と、弦長の変化は、音程に関して互いに相殺するように働くが、張力の変化の方が優っている(大きい)。 そのために、Δf1<Δf2 となるのだろう。

ということなのか、と考えた。張力の変化はまず間違いないが、弦長の変化が起きるのかどうか、それが弓によるドライブが終わった後にも、一定時間残るのかどうかは、私の想像。弦の張力と、長さを実測すれば良いわけだが、そう簡単にはできそうにない・・・。

さらに、音程の変化というよりも、音色の変化と感じられるのは、私の耳の問題なのか、それとも実際高調波の変化が起きているのかは分からない。また、高い弦でも同じ現象が起きるはずなのだが、ほとんど実測できない。それは、C線が構造的に伸びやすいためなのか、何らかの理由で張力の変化が起きやすいのか、不明。

ここまでは、あまり大したことのない考察だが、「Δf2の大きさが、弦のヘタリ具合を反映する」ということはどうも言えそうである。金属は力が加わり続けると、弾性の変形から、塑性の変形を生じるようになる(と、材料力学か何かで学んだ古い記憶・・・)。ヘタリは、弦の弾性が失われて行く過程なのだろうから、この観察は正しいと言えるのではないだろうか。

2か月ほど前に、同じモデルの弦に張り替えたのだが、新しい弦に変えることによって、Δf2の絶対値が小さくなった。逆に言うと、Δf2が大きくなったら、弦がヘタって来たことを意味するのかもしれない。弦のヘタリ具合は、「音に張りがなくなる」ことで判断していたが、もしかすると、このΔf2の大きさで判断できるかもしれない。

ヘタリ具合が眼で確認できると、便利なような、気にしてしまって不便なような・・・。

録画しようかとも思ったが、面倒なので、興味を持たれた方は追試なさってみて頂きたい・・・それとも、これは常識の範囲のことなのか?

追記;C線でフォルテの音を出すときに、弓で弦を押し付けるよりも、弓の早さを増す、弓を駒よりに置くことの方が、音楽的にも良いと言えるのかもしれない・・・もちろん、弓で圧力を加える奏法も必要なのだが・・・。