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VY1KX Allen 

先日から、夕方のビールが復活。庭仕事で目いっぱい汗をかいた後のビールは、旨い。体調を考えて、ビール断ちをして数か月。このまま行けるかなと思ったのだが、残り物のビールを冷やしたらさすがにその魅力に抗することはできない。

午後5時、まだ外は明るい。7メガを聴く。コンテスト局と和文局ばかり。空いているところをみつけて、バグキーでCQを出す。同じくバグキーで応答があった。旧知のAllen VY1KX exVE7BQOである。3年ばかり前に、VE7からお嬢さん夫婦の住むYukonに移住なさった方だ。以前、彼について記したポスト、こちら。

確か、5エーカーの土地に家を建て、新しい生活を始めたはず。近々、メキシコに住む息子さん夫婦、それにお嬢さん夫婦、孫娘が一堂に会することになると、嬉しそうだ。息子さん夫婦は「たった」2週間しか居ないのだ、と嘆いていた。私にも是非遊びにいらっしゃい、個人的にお目にかかりたいと二度も繰り返し言ってくださった。今すぐは無理だが、西海岸には、歳をあまりとらないうちに訪れたいと思っている、と答えた。

Yukon川でカヌーに乗って過ごしている由。もう少し暖かくなったら、庭にいろいろな植物を植えたい、とのこと。奥様がバンドでトロンボーンを演奏なさり、近々オタワに演奏旅行に出かける由。

あと二週間ほどで、70歳になると言ったら、彼は今月1日に70歳になったところとのこと。おぉ、偉大な49ersではないかと申し上げた。49ersのguruは、John K1JDなので、聞こえたら一声かけて、Allenも49ersだと自己紹介をするように言った。

彼は、昔から使用してきたFT Oneをまだ使っている由。デジタルモードと混同されないと良いね、と私。アンテナは、12mhのダイポール。それにしては、信号が安定している。ソリッドコピーである。こうした小さな設備の局と交信するのは、昔に帰ったようで、。ほくほくした気分になる。

45分ほどお喋りを続けたか・・・また、近々お目にかかりたいと申し上げて、交信を切り上げた。

輝かしい終焉 

2,3日前、あまりオペレートしなくなった夕方、というか午後遅くの7メガで、北米の東海岸と交信できた。午後3時20分頃、ノースカロライナのWayne W4HGが呼んできた。お互いノイズすれすれだったが、一応意思疎通はできる。ノイズレベルは極めて低い。彼はダイポールにKWで、ビームを想像していたので驚いてしまった。秋・冬にこの時間帯に東海岸に開けることは度々経験するが、春のこの時期にはとても珍しい。

思い返すと・・・以前に記したことだが・・・1960年代、この時期に、北米としばしば交信していた。あれは、高専に入ったころだったか、1年生の時には、授業は午後2時には終わり、すぐさま帰宅した。午後3時半頃には家に着き、まだ誰も帰っていない自宅に建て増しされた、本当におんぼろなシャックにこもった。まだ陽が高かった。自作のトリプルスーパーの受信機・・・酷いポンコツだったが・・・で耳を澄ますと、とても静かな7メガで西海岸の局が聴こえてくる。アンテナは地上高2m程度のGP。一応フルサイズでラジアルを3,4本張ってあった。狭い都営住宅で、隣の庭に侵入してラジアルを張らせてもらった・・・今から考えると、とんでもない迷惑をかけていた。西海岸の局と交信するのが楽しかった・・・とくに長話をするわけでもなかったが、太平洋の反対側のハム・・・多くはオールドタイマー・・・と交信することだけで満足していた。

あの当時のバンドの静けさ、それに北米からの信号が、また戻ってきたよう。半世紀前に同じような思いで、無線をやっていたなと思った。

残念ながら、当時出ていた局は殆ど聞くことがなくなった。唯一、当時からactiveだったCliff K6KIIは、コロラドで引退し、とても小さな設備になってしまい、ほとんど聞くことがなくなってしまった・・・のだが、先日、シアトルでお目にかかったVic WA6MCLが、Cliffと電話で話したと聞いて驚いた。Vicが無線を始めたころ、Cliffが近くに住んでいて、いろいろ教えてもらったらしい。CWの世界は狭い。そして、その狭い世界が、なおさら狭くなりつつあるわけだ。

私も正直言って、無線、CWへの情熱はだいぶ醒めてしまった・・・というよりも、普通の交信をする相手がいなくなってしまい、それによって興味が削がれたというのが正直なところ。CWでなければならない理由を答えることができないハムがふえているのではないだろうか。それで、すぐにデジタルモードに移行してしまったり、ただ記号のやり取りをすることだけになってしまったり・・・でも、もうその愚痴はよそう。CWは、輝かしい時代を生きて、今その役目を終わろうとしている。その時代を私たちは生きているのだ。

レジェンドと言われて・・・ 

先日、朝14メガが北米に良く開けていたころ、旧知のDan W7RFと、CWに出てくる局が減ったこと、若い人々が参入してこないことを嘆き合っていた。彼の所属するクラブでも、CWに出る会員は極めて少ないらしい。彼が相手をして育てているCWオペのビギナーが一人いるとのことだった。彼との交信を終えると、Steve KL7SBが強力な信号で呼んできた。CWは死なない、私は悲観的過ぎるというのである。彼はコンテストに熱心な方で、facebookではリベラルな主張を展開している方だ。ラグチューにも出てきてもらいたいと申し上げて交信を終えた。

その直後、Steveが私と交信したことをfacebookにポストした。「あのlegendと交信した」というのである。えっ、私がlegendとビックリ仰天。Steveが無線を始めたころ(’80年代だったか)、NYから私の信号を良く聴き、その後も変わりなく聴いていたというのだ。それに同調する方が何人かいて、legendであると繰り返されたので、これはおちょくられているのかと思ったが、彼らのアマチュア無線人生のなかで、私のコールが、いつも聞こえた遠いアジアの局の一つだったのだろうと想像した。決して、legendと言われるような活躍をしてきたわけではない。1963年に無線を始めて、69年には大学受験などがあり一旦完全にQRT。そして1980年に復活してから、同年代半ばに母校に試験管を振るために戻っていたために週一度ほどしか無線ができない時期があったが、その後は極めてコンスタントに無線に出続けていた。その継続していたことが、彼らの記憶に残った理由だったのではあるまいか・・・。

50歳前後までは、私も「若手」の積りでいたが、気が付くと、私よりも年配のCW Oprは少なくなってしまった。少なくとも、ラグチューをこのモードで愉しむ方は、私よりも少し若い方が多くなった。それも、私をlegendと呼ぶ理由なのかもしれない。高年になると、ただワッチしているだけになってしまうことが多い・・・それは、私の友人たちの様子からも分かる。

legendとWの方何人かに呼ばれて、面はゆいような気持になると同時に、もう先は長くないなとも思った。

次の世代のために何を残せただろう。これから、何かを残すことはできるのか。

一つだけやり残したことがはっきりしている。CWの解読のメカニズムに関する大脳生理学的な研究論文をリビューし、私自身の考えをまとめること。それだけは、何とかやり遂げておきたいと思っている。

でも、legendか・・・無線に出にくくなるな 苦笑。

K5BGB 再び 

今夜、7メガに出て、何局かと普通の交信をした。最後の交信を終えて、これで今夜は打ち止めだなと思いつつ、CQを出した。すると、SHIN?と打って来る弱い信号があった。時々、茶化すために私のコールだけを打つ局がいるが、名前を打つ局はあまりいない。?と打つと、DE K5BGBときた。テキサスに住む旧友、Rodである。彼のことは、過去に何度も記した。1980年代から90年代にかけて、7メガの夜早い時間帯にしばしば交信させて頂いた方。1988年に私をFOCに推薦してくださった方のお一人。以前にも記したが、彼は、その後狭い住居に引っ越され、アンテナが十分なものを立てられなくなり、無線でお会いするのは1年に一度あるかないか、程度まで減ってしまった。

実は、二日ほど前に、emailにホルストの「木星」の演奏のyoutubeアドレスを送って来て、是非聴くようにとのことだった。そうしたclipを他人に聴くように強制することは殆どしないのだけれど、と奥ゆかしい・・・恐らく高校生たちが、どこか自然のなかに入って、その曲を演奏したものだった。ホルストは、とくに好みの作曲家ではなかったので、何と答えたら良いかと迷っているうちに、無線でお目にかかることになったわけだ。朝日が高原に差し、そこで若い演奏家たちがたっぷりと歌う演奏を繰り広げている。たしかに、気分爽快な演奏ではある。

返事を早くすべきだったがと詫びて、遅い時間にお目にかかれるとは思っていなかったと申し上げた。こちらの時間で午後10時前。あちらは、日の出の直後だったようで、QSBがあったが、いつもカスカスの彼の信号も7、8割方読める状態だった。家族の状態の報告を交換し、早々にお別れした。もう少し早い時間帯であれば、もっと長時間交信し続けられたかもしれない。

彼のキーイングが、30年前と殆ど変わらず、ミスのない、単語間隔を微妙に長めにとる美しいものであることに感動した。1980年代にうっとりとしながら、彼のキーイングに耳を傾けた・・・それと同じことが今再現されているということへの感動。しかし、こうしたキーイングの美しさに感銘を受けるCWマンは、もうほとんど絶滅危惧種になっているのだろう。彼は既に70歳代半ば。今でも、VK3CWB Maurieとの定期交信を続けているらしい。是非、これまで通り元気にCWに出続けて頂きたいものだ・・・彼のようなオペが築いてきた時代はそう長くは続かないという予感も感じつつ、だからこそ、こうした交信は得難いものだと改めて思う。

交信を終えてすぐに彼からemailが来た。そのなかに、私がOKをコンチネンタル風にEEK(EEの間隔は狭目)と打つのを聴いて、感慨深かった、そうした符号を用いるオペが殆どいなくなってしまった、と記されていた。長点四つが、CHを表すことを、彼との交信から学んだのだった・・・。

彼も、CWの黄昏の時代に入っていることを感じておられるのだろう。でも、もうしばらくは、また同じように彼の華麗な符号を聴き続けたいものだ。

"The Soloist" 

まだ雪深いであろう米国のコロラドに住む友人Cap W0CCAが、メールをくれた。彼は、土木エンジニアでありながら、広大な自宅にリンゴ園を持っている。息子さんがシアトルで麻酔科医のレジデントとして働いている。無線でお目にかかるたびに、彼のリベラルな考えとともに、そうした彼とご家族の生活について伺うのを楽しみにしている。

そのメールには、タイトルの映画を見るようにと記されていた。感動的な映画の由。出演者の一人がチェリストを演じる映画らしい・・・

こちら。

彼が送ってきた、この映画に関するwikiにすべてが記述されている。あるジャーナリストがロスアンジェルスで路上生活者の若者に出会う。その若者は才能あるチェリストで、ジュリアードに学んでいたが、統合失調症を発症したために学業からドロップアウトし、路上生活者になってしまう。チェロが手に入らぬために、弦を二本だけ張ったバイオリンで路上で演奏をしていた。そこで、その記者は彼を社会復帰させようと奮闘し始めるのだが・・・という粗筋らしい。

完璧なハッピーエンドで終わる映画ではなさそうなのは、米国映画らしからぬ筋書きだなと思った。多くの米国映画の場合は、その路上生活者の青年が病気を克服し、カーネギーホールでデビューリサイタルを開く・・・といった筋書きのことが多いからだ。ジャーナリストとの人間的交流、それに統合失調症の現実をきめ細かに描いているようだ・・・面白そうだ。

と同時に、何かこれは実話に基づいているのではないかという思いが湧いた。そこで、この主人公の一人のジャーナリストの名前でググると、確かに、その人物が実在し、ロスアンジェルスタイムスの有名なコラムニストであり、この映画の筋書きのノンフィクションを記し、米国で多くの方に読まれたらしいことが分かった。米国流の映画によくあるハッピーエンディングではないことも、それで理解できた。

とだけ書いて済まそうかと思ったが、二つばかり余計なことを・・・

一つは、統合失調症は極めてありふれた病気なのだ。発症率は100人に1人と言われている。私自身、この病気の多くの方と接してきた。医師を目指す直接のきっかけになったのは、ご家族に統合失調症の方を二人持つ、小学校の教師をなさっていた方・・・生きていらっしゃるとすると、もう80歳近い年齢のはず、お元気だろうかとこれを記しながら、改めて思った・・・と知り合ったことだった。独特の世界に生きる統合失調症の方々と共に生きてみたいと単純に思ったのだ・・・それはいささか偏見の裏返しのような関心でしかなかったと今にして思えば反省しきりなのだが・・・。結局、精神医学には進まなかったが、統合失調症が極めてありふれた病気であり、その病を病む方々を包摂して、ともに生きて行くことを考えることは大切なことだと思う。

もう一つは、米国社会は厳しい競争社会であり、こうした病気を抱える方、または戦争に従事しその後遺症としてアルコールや薬の中毒、そして精神を病む方は、容易に路上生活者に転落して行く。Cap自身、この映画を紹介するメールで、ロスアンジェルスでは路上生活者は珍しくもなんともないのだが、と記していた。わが国も、米国と同じような社会に向かいつつある。とくに、集団的自衛権で米軍の指揮下に入った自衛隊が、海外で戦争に参加するようになる体制は整った。隊員、とくに若手の下位の隊員の絶対数が足りない自衛隊はやがて徴兵制を敷く・・・これは政権与党の多くの政治家が、様々な機会に述べている・・・公然とは口にしていないが、憲法に自衛隊の存在を書き込み、その後9条2項を除き、自衛隊をを実質的に軍に変える。すると、自動的に徴兵制が実現することになる。海外で実際の戦闘に従事した若者のかなりの数が、米国の退役軍人が退役後生きている人生を歩むことを強制されることになる。だから、この話は決して遠い国の出来事とは言えない。

コロラドでリンゴ畑の木々が一斉に開花するととても見事らしい。お互いにあまり歳を取らぬうちに、ロッキーの山々を近く仰ぎ見る、コロラドに彼を訪ねてみたいものだ。

John 9V1VV 

John 9V1VVを14メガで久しぶりに聴いた。昨秋以来だったろうか。船での仕事を始めると聞いていた。南米南端の辺りを航行する、もしかしたら無線に出られるかもしれない、ということだったので、期待していたが、ついぞ聞こえなかった。6週間一クールの乗船の仕事を終え、自宅に戻ってきたところらしい。

私の英語ブログにコメントをしようとしたが、受け付けられなかったとのこと。googleのアカウントでないとダメなことがあり、それを申し上げた。コメントは、私の「CWは死に絶えつつある」というポストに対するものだったようだ。彼の考えでは、現在のCONDXによって、activityが一時的に下がっているだけなのではないか、ということだった。それも一つの要因かもしれないが、長い目で見てきた感想としては、少なくともCWで会話を楽しむ方が激減している。nativeであってもそうだ、と申し上げた。CWの楽しみとは何なのかを突き詰めないと、交信・通信の態様が、ネットも加えて、激変しているのだから、ただ楽しいと言っているだけでは若いニューカマーをCWに引き込むことは難しいのではないか・・・と。

彼は7月に、サモアから北米西海岸へのクルーズにクルーとして乗船するらしい。今度は無線を是非やりたい、仕事も落ち着いたので出られるはず、とのことだった。きっとこれが最後の航海になる、というので、いやいやまた自宅に落ち着いたら、次の航海を考え出すのではないかと少し突っ込んでおいた。南太平洋へのパスは、バッチリ開けるはずなので、今から楽しみではある・・・でも、船の上からバグキーで運用するのかしらん。20、30年前に戻ったような交信だった。ご家族皆さんお元気の由・・・。

K5ALU/M going QRT 

先ほど、Roger K5ALUからメールが来た。

これまで仕事で米国中を車で移動する旅を続けてきたが、それを止めることにした、という知らせ。

彼は1961年から車での運用を始めたらしい。ARC5という軍用のトランシーバー、それに発電機を積んで・・・大いに楽しめたらしい。

ところが最近は、CQを出しても相手がいない。もう車から無線を楽しめる時代ではなくなった由。

車の運転自体も難しくなったらしい。20m以上の大きさのトレーラーに仕事の資財を積んで移動してきたが、その運転が厳しくなった。特に、夜間、とあった。

これまで100万マイル以上の距離を無事故で走り抜けた。もちろん、車を踏み外したりすることはあったが、という。

あのきびきびとしたキーイングのK5ALU/Mを聴けないのは残念だが、それは彼の決断だ。

彼には、大仕事をやり遂げたね、でも人生の新しい章が始まる、と書いて送った。会話を楽しむCWは、もう消えかかっている。その最後の時代に輝きを我々の運用で与えようではないか・・・と。


マラソン そしてCWの黄昏 

先週末は、FOCの部内コンテストMarathonだった。リポートと、メンバーシップナンバーを交換する。私は、土曜日上京したりしたので、ごく一部の参加。

少し磁気嵐が起きていたのだろうか、信号は全般に強くない。7と14メガで42局と交信。大体、activeに出ている局は、数百局交信するので、私は最低の部類。21メガで、久しぶりに、奈木さんJA5DQHを聴いた。かすかにスキャッターで聞こえる風。北米と交信している様子だったが、相手は殆ど聞こえず。7メガでEuがロングパスで聞こえた。だが、本尊の英国は全く聞こえず。日曜日の朝、14メガで北米からバタバタ呼ばれたが、パイルは続かず。夜遅く、7メガで東ヨーロッパが聴こえた。S57WJ Gaborからfacebookでメッセージ、曰く、俺はまだJA、Asiaと一局も交信していないんだよね、と。じゃ、呼ぶよというが、最初、周波数が行き違い。無事交信出来た。彼はHA2NUから運用している様子だった。でも、これでは、糸電話で「聞こえる?」「聞こえるよ」とやっているのと大して変わらず。

旧友、Bob W6CYXが久しぶりに聞こえた・・・うわ、キーイングにミスが多くなったなと一抹の感慨。彼も80歳台か・・・。Bob W9KNIからも呼ばれた。ご存知Bencher社の元オーナー。年を取ったけれど元気にやっている、とのこと。他にも、K6KII、W6IJ等の旧友と交信。全体に言えることは、皆、それなりに年をとったということ。私も例外ではない。

Marathonの熱狂が過ぎ去り、今朝14メガで、これまた旧友のAlan KF3Bに呼ばれた。さほど強くないが、2年ぶりの交信。ビームが回せなくなっていたようで、最近それを修理してJA向けに回せるようになったらしい。ヨーヨーマの「Inspired by Bach」というDVDを見て、私を思い出してくれていた由。その後、Bill W7GKFからも呼ばれた。彼は、土曜日はMarathonに出ていたが、日曜日はミネソタのQSO Partyに出た由。庭の30m高の樹が倒れ、それを使ってあげていたワイアーアンテナが落ちてしまった由。その倒木は、ガレージを直撃したらしい。奥様は、それ以降、樹のある庭と反対の側で寝ているようだ。彼らカップルがシアトル空港に出迎えてくださったのは7年前・・・時間が経ったものだ。歳を取って、頭の回転が悪くなったとしきりに仰るが、キーイングからはそれは感じられない。

というわけで、無線にまだ出ているが、やはりCWは黄昏の時期に入っていることを感じる。FOCもどうなることだろうか。若い人々が加入して、活性化されるのか。昔のように、ラグチューもコンテストもすべてこなすようなオールマイティなハムが戻って来るのか。どうも、そうではなさそうな気がしてならない・・・。黄昏の一瞬、一瞬を愉しみつつ、去り行く良き時代に別れを告げる。

Don WB6BEE 人生は旅路 

昨夜遅く、7メガでDon WB6BEEが呼んでくれた。彼は、コールをする頭に、BTとかVとかを打つ。そのキーイングで、彼がIDを打たなくても、彼であることが分かる。少し角張ったバグキーのキーイング。彼にそれを言ったら、次は、私のコールのあとにDE VVVと打ってみようかと言って笑った。個々のバグキーの癖・特徴というよりも、やはり送り手の送信の特徴なのだろう。いわば、声の質にも似ている。こんな単純なコミュニケーション手段なのに、各人を特徴づけるものがあることに改めて驚く。

彼の奥様は、不動産取引を仕事にしている。この週末も、二件引き合いがあり、open houseをするということだった。しかし、昨年体調を壊してからは、少し仕事量を減らすことも考えているらしい。60歳代に乗ったのだし、それは穏当な判断だろうと思った。

どういう話の続きだったか・・・私が、太平洋岸の見晴らしの良いところに移住したいとかねがね考えていたが、年齢と、現在住んでいる土地、家内の仕事のことを考えると少し難しいかとも思っている、と話した。すると、彼自身、そう遠くない将来、アリゾナかヴァージニアに移り住むことを考えているとのこと。気候が温暖で(アリゾナは暑いわけだが)、住みやすそうな場所に移住したいのだ、とのことだ。ヴァージニアは、奥様が生まれ育った場所で、是非老後はそちらで暮らしたいと言っている由。彼は、どこでも良いのだが、HOAによるアンテナ規制のないところが良いなとあくまで無線中心。

カリフォルニアからコロラドに移住した彼の決断は、良かったではないかと昔の話を振った。すると、本当はカリフォルニアでの仕事を続けたかったのだ、と彼は言う。彼は、米を輸出・売買をする企業の責任者を任されていたのだが、その企業が売却され、買主に企業運営のノウハウを3年間教えて、できればその後も契約を継続してもらいたかったのだが、そうはならなかった。不本意ながら、カリフォルニアからコロラドに移住したのだ、とのこと。長く経験を積んだその業界であれば、自分で事業を起こしたら良かったのではと尋ねた。だが、起業には億円単位の資金が必要で、当時の彼には無理だったとのこと。コロラドの現在地に移り住んだのが、57歳の時。それから14年が経ったわけだ。

でも、コロラドに移ってから、無線を思い出し、再開した。それで、私に会うことができたのだから、悪いことばかりではなかった、と彼が言った。本心かどうか分からないが 笑、人生は旅路なのだと改めて思った。旅のときどきで出会う人がいる。そうした出会いを大切にして行きたいものだ。

冬至の交信 

この2,3日、7、14メガが北米に開ける時間帯にせっせと出ている。あちらが休暇であり、旧友たちが出現する可能性が高いから、というのが一つの理由だ。

昨日午後早い時間帯に、Glen NN6Tが7メガで呼んでくれた。午後3時ころだったか。さすがに彼の2エレでも信号は強くない。が、ノイズレベルが極めて低く、快適にコピーできる。彼は最近高血糖を指摘され、HbA1Cも8台だそうだ。家族歴もあるので、糖尿病はまず間違いないだろう。来年早々専門医を受診する由。奥様も膝に痛みがあり、時々膝関節置換術を考えるとのことだったが。まだ50歳台であり、保存的治療で当面行った方が良いのではないかと申し上げた。関節の軟骨の摩耗に対して、血小板濃厚血漿の局所投与が効果があるようで、米国でもそれほど多額の医療費をかけずに受けられるのではないか、ともお教えした。共通の友人、Ed W7GVE、Kemp K7UQHのこと。Edは、難聴に加えて記憶力の低下が起きて、今は息子さんのところで面倒を見て頂いている由。1980年代にカムバックしたころ、7メガでよく交信させて頂いた方のお一人。残念なことだが、仕方あるまい。ご家族が面倒を見て下さるということは彼にとってベストなことだ。Kempは、あちらの日曜日の夜遅く、仕事帰りの車から時々出てくるようだが、Glen自身もあまり聴くことがないようす。電話でしばらく前に話したときには、Glenと私しかCWで交信する相手がいなくなってしまったとKempが言っていたそうだ。だが、Kempには他に交信する相手がいるので、それは事実ではないと言って笑っていた。Glenは、かなりCWの上手な方なので、こちらも送信の練習がてら35WPM程度まで速度を上げてみた。やはり少し打ち間違えが増えるのと、思考速度が追い付かないことも時々あり、ちょっと速度オーバーかなと思ったが、昔を思い出して快適。

日が暮れてしばらくしてから、John K3TNもフワッとした信号で呼んできた。facebookで会おう会おうといい合っていながら、なかなかお目にかかれない。10年ほど前に日本に奥様と来られた時に、JE1TRV局のところでお目にかかった方。やはりリモート運用で、最近その局に3エレフルサイズが上がって、大変楽しめるようだ。お嬢様ご夫妻、その愛犬が訪れており、奥様がとてもうれしそうとのこと。にぎやかなクリスマスだ、ということだった。さすがに東海岸へのパスは長続きせず、10数分交信している間に、信号はふらふらと下がり始めた。再会の期待と、季節の挨拶の言葉を交わしてお別れした。

今朝は、14メガが北米に良く開けていた。何局か交信するうちに、Jim N3BBが呼んできてくれた。昨夜、7メガでN8AIと交信中に私をコールして、混信を与えて申し訳ないと仰る。私の送信の最後の部分だけを聴いて、私がCQを出し終わったのかと勘違いして呼んでくださった由。よくあることで、それだけ私たちの交信間隔が空いていたためだと答えた。彼は、クリスマスに奥様に息子さんを交えて昼食を共にする由。オースチン近郊の無線仲間の最近の様子を伺った。AC4CA Johnは、癌の治療を受けつつ、activeに出ている由。ただ、奥様の具合が良くないようだ、とのこと。

その後、Tom W7RN aka K5RCが呼んでくれた。日本向けに高い位置に6エレを立てており、日本の方向は崖になっており良く開けているようだ。信号はピークで20dB オーバーである。97歳になる母上が骨折から回復し、看護をしていた奥様がカリフォルニアから帰宅なさった由。Tom自身の健康状態も回復してきたようだ。現在、彼の無線局を三名のFOCメンバーに開放し、彼らがリモートで運用している。彼を含めて、いっぺんに四名のFOCメンバーに会えるといって、彼は笑っていた。K9DX、K5VWWそれに有名なW1YLだ。ただ、リモートオペレーションに使っていたElecraftのKPA1500が故障を繰り返したために、現在KPA500に置き換えた様子。三名の運用のスケジュールはどうしているのか尋ねたら、Ellenだけは08から12Zまで用いることになっている・・・他の二人は寝ている、と言って笑っていた。他の二人は、適宜空いている時に使うというやり方らしい。大変なのは、リモートオペレーションのためのソフトがアマチュア無線家の書いたものでバグが結構あり、その手当だそうだ。7メガ3エレフルサイズのスタックだったか・・・これほど大規模な局を彼らのために維持管理しているそのボランティア精神は素晴らしい。奥様と二人で静かなクリスマスを過ごすとのことだった。

というわけで、楽しめる冬至のCONDX。でも、こうした仲間との交信もいつまで行うことができるか・・・きっと最後の輝きのひと時なのだろう・・・一時一時を噛み締めつつ交信を続けている。