共謀罪は、警察公安部と政治権力のため 

今西憲之著「原子力ムラの陰謀 機密ファイルが暴く闇」という本がある。動燃に長く勤めて、最終的に「もんじゅ」のナトリウム漏れ事故の検証チーム担当になり、1996年に「謎の」死を遂げた西村成生氏。彼が残した膨大な資料を丹念に調べ、再構成した書物だ。プルサーマル計画という核燃料サイクル事業を行うために立ち上げられた動燃は、ナトリウム漏れ事故で破たんする。動燃の人形峠におけるウラン採掘、使用済み核燃料処理事業、それに東海村原発事業において、動燃がどれだけ政治的な動きをしたかが、具体的に記されている。準公的な組織である、動燃が、自民党政治家を選挙運動で積極的に支持し、選挙運動にも関わった。特に注目すべきは、住民、地方自治体の議員等に対する運動だ。動燃は、警察公安部と密に連絡をとり、上記事業に対する住民の反対運動に対処していた。住民の一人一人の政治信条等の情報を、動燃と公安警察が共有していたのである。

この動燃の問題は、一つには警察公安部と動燃という準公的組織が共同して動燃に反対する運動を潰すように陰で動いていたことだ。警察公安部が国民全般を対象に監視する体制を取っていたこと、その情報が実際に動燃の反原発運動への対処に利用されていたことが問題である。下記の記事にある通り、警察公安部が陰で秘密裏に行ってきた様々な国民監視が、組織犯罪の恐れがあると警察が判断すれば、堂々と捜査されることになる。思想信条の自由、表現の自由だけでなく、国民生活の様々なありふれた生活局面で監視を受けることになる。社会が息苦しさに満ちたものになる。

警察公安部は、冷戦時代には、共産党、新左翼の政治運動を監視し、取り締まることを主な仕事にしてきた。だが、共産党は暴力革命路線を破棄、国民政党になり、さらに冷戦が終結。警察公安部が行うべき仕事にこと欠く状況にある、という。京大法学部の高村教授が述べたように、この共謀罪法案は、警察公安部の仕事を増やすためなのではないか、少なくともそうした側面があることは否めない。テロ対策などとはかけ離れた277(またはそれ以上)という多数の犯罪類型を、この法案の対象にしているのは、そのためなのではないだろうか。共謀罪法案が成立すると、そうした国民への監視-捜査・摘発が、今後は公然と行われるようになる。警察の判断で、計画前の段階で捜査が行われることになる。

政権与党にとっては、様々な市民運動、反政府運動を未然に潰すために、共謀罪が有用な手段になる。動燃と警察公安部が共同して、反原発、反プルサーマル運動の市民を監視し、対処したことは、いわば隠蔽されてきたことだった。だが、この共謀罪法案が成立すれば、そうした市民運動を事前に潰すことができるようになる。または、市民の側からすると、社会的に必要だと思われる運動にも参加することを躊躇せざるを得なくなる。権力は往々にして腐敗するものだ。それに対して、国民が反対・追及の声を挙げられなくなる。そうした政治手段として共謀罪法案が利用される。

この組織的犯罪処罰法の改正案という名称の共謀罪法案は、警察公安部と、時の政治権力のための法案なのだ。

以下、引用~~~

準備行為前でも捜査対象 「共謀罪」、政府が見解
2017年4月22日05時00分

 犯罪を計画段階で処罰する「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ組織的犯罪処罰法の改正案について、政府は21日の衆院法務委員会で、テロなどの犯罪計画の疑いがあれば「準備行為」の前でも捜査できるとの見解を示した。過去の法案と同様、犯罪の既遂、未遂を問わず、計画段階で捜査対象になることが明らかになった。

 政府は資金や物品の用意、現場の下見などの「準備行為」を犯罪成立の要件として新たに加え、準備行為がなければ処罰の対象にならないと説明。過去3度廃案になった共謀罪法案とは「明らかに別物」(菅義偉官房長官)と主張してきた。

 この日の法務委では、民進党の階猛氏が「準備行為が行われた後でないと捜査は開始できないのか」と質問。法務省の林真琴刑事局長が「テロの計画が実行される蓋然(がいぜん)性があり、犯罪の嫌疑があれば、準備行為が行われていない段階でも、任意捜査を行うことが許される」と答えた。

 任意捜査は内偵や事情聴取など裁判所の令状が必要ない捜査。民進党の山尾志桜里氏は審議で「一般人も広く網がかけられ、監視されるようになる」と批判した。一方、過去の法案では計画段階でも可能だった逮捕や家宅捜索といった令状に基づく強制捜査について、金田勝年法相は「(今回の法案では)準備行為が行われておらず、罪が成立していない段階ではできない」と否定した。(小松隆次郎)

共謀罪法案の問題点 決してテロ対策ではない 

「テロ等準備罪」を新設する組織犯罪処罰法改正案、いわゆる共謀罪法案の問題は、

1)その対象となる犯罪が広範にわたり、政府の言うテロ対策だけでは決してない、一般市民が対象となること。組織犯罪集団かどうかは、警察が判断することになり、明確な定義がない。

2)犯罪を実行する前、計画の段階で立件されるので、捜査は盗聴、監視等によって行われる、すなわち監視社会を生み出すこと。監視社会では、密告・諜報が奨励されることになる。この共謀罪法案では、戦前の治安維持法と同様に、自首すれば罪を減免する自主減免制度が明記されている。さらに、昨年の刑法改正で、共謀「犯罪集団」の情報を明かすことでやはり罪が減免される司法取引が制度化された。これらの制度によって、密告・諜報による監視がさらに強化され、冤罪も横行するようになる。

組織犯罪に対処する必要は確かにある。それは既存の法律で対処できる、というのが刑法の専門家の見解だ。組織犯罪の取り締まりを強化することにより、市民の思想的な自由、表現の自由等が侵されることはあってはならない。この法案の立法事実・立法内容ともにあまりにお粗末である。これは、公安警察による公安警察のための法案であって、市民の正当な人権を阻害するものだ。

この法案は、テロ対策では決してない。安倍首相が述べるテロ対策としての意義はない。自民党法務部会長、古川俊治議員が述べた通りである。

以下、引用~~~

 4月20日付バザップ 共謀罪が「テロ等準備罪」ではないことが明言される

自民党で「テロ等準備罪」こと共謀罪の取りまとめを行っている古川俊治議員が共謀罪の目的がテロではないことを明言しました。これまでの安倍首相を始めとする自民党の説明は全て大嘘だったということになります。詳細は以下から。

テレビ朝日「モーニングショー」で、コメンテーター玉川徹が“ニュースに潜む疑問”を独自に追及するコーナーとして人気の「そもそも総研」。このコーナーで国会で審議入りしたばかりの共謀罪が取り上げられました。

出演したのは共謀罪の取りまとめを行っている自民党法務部会長の古川俊治議員。しかし、これまで安倍首相らがテロ対策と散々説明してきたにも関わらず、実際の目的がテロ対策ではないことを明言してしまいました。

安倍首相は東京オリンピック開催のため、テロ対策として「テロ等準備罪」こと共謀罪が必要であるとし、今国会で成立させようと躍起になっています。しかし、玉川徹の追求の中で共謀罪の目的が国際組織犯罪防止条約に入って組織犯罪の情報をもらうことだと答えてしまいます。

つまり、2017年1月23日の衆議院本会議での安倍首相の「現在政府が検討しているテロ等準備罪は、テロ等の実行の準備行為があって初めて処罰の対象となるものであり、これを共謀罪と呼ぶのは全くの間違いです」という発言は根本からの大嘘だったということになります。

もちろんその首相発言が大嘘であることははBUZZAP!でも2度に渡り記事化し、一般市民であっても共謀罪の取締対象になり得ること、犯罪を実行しなくても計画し、相談しただけで逮捕される危険があることをお伝えしています。しかし、自民党の法案取りまとめ役である古川俊治法務部会長が明言したことでこれは確定となります。

シャレにならない、共謀罪はキノコ狩りをしようと「相談するだけ」で「中止しても」成立すると判明 | BUZZAP!(バザップ!)

「同人誌作ろう」にも適用?「共謀罪」法案の対象に「著作権等の侵害等」まで盛り込まれる | BUZZAP!(バザップ!)

また、古川議員は共謀罪によって日本社会が監視社会になるかならないかとの質問に対してならないと断言。その理由を問い詰められても「やるべき理由がないから」と法案上なんら根拠のない回答にならない回答をつぶやくだけ。条文からその根拠を引くことが全くできていません。法務部会長であるにも関わらず、です。

共謀罪については、「そもそも総研」は以前にも取り上げて詳細な情報を提供しており、Tツイッターのモーメントにもまとめられています。

共謀罪のお話し(羽鳥慎一モーニングショー「そもそも総研」から)

また、実際問題として共謀罪は法務大臣すらまともに理解できていない法案。ここ数日でも金田法相は国会で散々野党に突き上げられてまともな回答が全くできていませんでしたが、衆議院法務委員会が野党の反対を押し切って法務省の刑事局長を審議を通じて出席させることを決定。

民進党と共産党は「参考人の出席は、質問する議員の要求に応じて認めてきたはずだ。要求していないのに、一方的な形で議決されたのは国会の慣例に反する」と抗議しましたが、これは自民党が金田法相では質問に対応することが不可能であると認めたとしか言えないもの。

法務大臣すら理解して議員の質問に答えられないような法案であれば、その時点で提出されるのがおかしいことは中学生でも分かりそうなものですが、日本社会のあり方を完全に一変させてしまう極めて危険な法案においてこのような慣例無視の強行が行われるというのは極めて異常。

一端廃案にした後に本当に必要であればパブリックコメントを取り、法相がまともに答えられるようになるまでしっかり練った上で極めて慎重な議論を行うのが当然の筋です。

post-truthの政治 

ポピュリズム政治が、政権中枢を担う状況が、世界各地で生じている。わが国も、その例に漏れないようだ。

ポピュリズムは、大衆の感情に訴えかける。感情にどれだけ強く訴えるかが問題なので、その訴えの真偽はさほど問題にならない。明らかな偽りこそが感情に良く訴えることもある。人々を離反させ、敵愾心を持たせる訴えが、大衆の感情に受け入れられ易い。また、相手を冷笑することも大いに有効だ。

ポピュリズム政治家と、大衆がこの汚濁した感情の空間のなかで生きているようなものだ。それが、post-truthの時代の政治なのだ。

日経オンライン 小田嶋隆 「マインドなき大臣が更迭されない理由」、よくできた政治時評になっている。こちら。

母の6回忌 

6年前の今頃、東北自動車道を北上していた。道路が、震災のためにところどころ、でこぼこしていた。震災時のライフラインの喪失によって、恐らくストレスを生じ、体調を崩して入院した母を見舞いに仙台に向かっていた。優しい山並みの安達太良の山々を左手に望みながら、助手席に乗った姉と、子供時代の思い出話をとりとめなくし続けた。この見舞いの旅については以前にも記した。とても具合が悪いはずの母だったが、時折笑みを浮かべて我々を迎えてくれた。こちらに戻りたい、(すでに7年前に他界していた)父はどうしているかと繰り返し、私に尋ねた。姉が病室で母に讃美歌を歌うのを聴きながら、帰路に就いた。母はその後数日て亡くなった。ふっとろうそくの火が消えるような最後であった、と後で聞いた。

先日、弟から手紙が来た。母が弟に出した手紙のコピーが添えられていた。40数年前のことになる。弟が東北大の医学部に入学し、仙台のYMCAだったか、寮に落ち着いた。それを見届けて、東京の自宅に戻った母が、帰宅早々に弟に宛てた手紙だ。仙台のプラットホームで別れ、途中武蔵野線に乗り換え、自宅近くの駅についたこと、小雨が降っていたが、濡れたまま歩いて帰ったこと、夜なかなか寝付かれなかったこと等が淡々と記されていた。裕福ではないので、いろいろと揃えてあげられなくて申し訳ない、枕はそれまで使っていたものをきれいにして送るから、とあった。最後に、キリスト教信仰にたって、また歩みだすと記されていた。

母が、こうして私たち子供を思い、そのために生きてくれたのだった。父も同じように私たちにしてくれた。その愛情を、この年齢になって、改めてありがたく感じる。両親に何事か恩返しをできただろうか、と自問する。親から受けた愛情の幾分かでも、自分の家族に与えること、それがいかに難しくてもその努力をすることだろう。もし両親に会いまみえることが再びできるなら、自分はこうして生きたと胸を張って言えるように・・・。

あと8日で、母の6回忌がやってくる。

新専門医制度は誰のため? 

全国医学部長病院長会の記者会見で、同会の副会長かつ日本専門医機構理事の稲垣氏は、新専門医制度の開始時期について、「基本的には来年4月に開始する方向で準備を進めている」と述べた。さらに、当初は2017年度制度の開始が1年遅れたために、「日本専門医機構は、資金的にも大変苦しくなっていることも念頭に置く必要がある。さらに1年延期すると、機構そのものが財政的に成り立たなくなってしまう」と懸念を示し、「これ以上、遅らせることは専攻医にも大変迷惑をかけることにもなる」とし、速やかな開始が必要だ、とした。

日本専門医機構は、専門医認証を行わないと、財政的に厳しいから、来年にはぜひとも新専門医認証制度を開始したい、ということだ。

いや、待てよ・・・専門医は、専門科各々の質の平準化を行うことを目的にしたのではなかったか。それが、いつの間にか、プログラム制という5年間の専門医研修を採用することにより、医師の偏在を改める、という名目上の目的にすり替えられ、医師の人事権を同機構が握るための制度になってしまった。

その上、専門医取得、資格維持のために、かなりの費用負担を医師に強制することになった。同機構の側からすると、医師が専門医取得、資格維持のためにそのコストを払ってもらうことを見越して、制度設計したわけだ。以前のブログで、新専門医取得、資格維持にかかるコストを推定した。こちら。2014年時点で、総医師数は30万人弱。少なく見積もって、その1/2が新専門医を取る(実際は、若い医師の9割が、新専門医取得希望らしい)として、日本専門医機構には毎年数億円の収入が転がり込むことになる。今後、医師は右肩上がりに増え続けるし、専門医認定の実務は各学会に丸投げなので、日本専門医機構は左うちわになる・・・という読みなのだろう。

そのために、上記の全国医学部長病院長会副会長兼日本専門医機構理事の方の本末転倒な発言が出てくることになる。専門医は、若手医師のためにあるのではなく、日本専門医機構のために存在するかのような発言だ。

新専門医制度には、医療現場から批判の声が多く寄せられている。日本専門医機構の財政のために、新制度を早期に実現する、といった発言が、同機構の幹部から出る時点で、この制度の問題は全く解決していないことが分かる。同機構が潰れようがどうしようが関係ない。若い医師が自らの専門性を適切に獲得するための制度設計を行うべきだ。若い医師のための制度にすべきである。拙速の専門医制度開始は大きな問題を残すことになる。

下記の記事は、地方病院の都合だけを考えている面が否めないが、この新専門医制度が地域医療に壊滅的な影響を及ぼしうることを指摘している。

以下、MRICより引用~~~

地方の自治を根底からむしばむ新専門医制度 
~地方自治体首長と地方中小病院の管理者を騙す日本専門医機構~

仙台厚生病院 遠藤希之

2017年4月19日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
---------------------------------------------------------------------
「新」専門医制度には様々な問題がある。それらが全く改善されていないにも関わらず、日本専門医機構は未だに今年度施行開始を強行しようとしている。

今年二月、医系市長会が「地域医療への悪影響が懸念される」との声明を出した。それに対する機構側の回答が聞こえてきた。

「地域の病院での後期研修では(中略)大学病院などに頼むことが多いのではないか。各施設が専攻医を取り合っていたら、医師の偏在は続くのではないか。むしろ、大学などの大病院と、地域の病院が連携をして、専攻医を循環させる仕組みを作った方が良い。」とのことである。

全くの欺瞞である。なぜか。

基幹病院>連携施設群の「循環型研修」システムでは、後期研修医の絶対数が全く足りず、一旦基幹施設に所属させられた研修医を、大部分の連携施設に「循環」させることが不可能になるためである。

実は、「新」制度に移行する前の代表的な臨床領域の教育病院数はこの通りだ。内科1,163, 外科2,072, 整形外科2,033, 産婦人科630、小児科520施設(日経メディカル2016年9月号、特集「始まらない専門医制度」)。

もちろんこの全てに3~5年目の後期研修医が必ずいるわけではない。しかし逆にいうと、これほどの数の「地方の施設」が「3~5年目の後期研修医」を欲している、と考えるべきなのである。たとえ一病院あたり2~3人しかいなくてもよい。そのような後期研修医は一つの病院に長く務めることで「地域医療の特徴」に適した「戦力」になってきていた。その地域にとっては非常に重要かつ「宝物」といえる人材なのだ。

ところが「新」制度では教育病院が激減し、加えて全ての後期専攻医が「基幹施設のプログラム」に所属しなければならなくなる。これはつまり、自前で後期研修医を雇ってきた多数の施設から「3~5年目の後期研修医」が、「循環型研修」のお題目のもとに全て引き剥がされる、ということに他ならない。

機構側のおためごかしが始まる。
「地域の施設が専攻医を取りあうといけない。大病院を中心とした「循環型研修」を行えば地域医療も保全される。」

しかし、これが地域医療と医師の需給バランスを無視した「欺瞞」なのである。

具体的にみてみる。
まず最大医師数を誇る内科ではどうか。新制度での基幹施設は532施設、そして連携施設と特別連携施設を合わせると2053、新制度では研修可能な施設が一見2600 に上る。そこで機構は「循環型研修なら全ての連携施設に後期研修医を一定の期間は送ることが可能だ。つまりこれは、地域医療に配慮した素晴らしい制度だ」と胸を張る。

ところが、内科系に進む後期研修医は(吉村機構理事長作成の平成29年3月17日記者会見時のスライドによると)直近三年間の平均が一年あたり3147人だ。

もし、新制度の基幹施設(大学病院も基幹施設だ)一か所あたりに平均6人後期専攻医が所属したら、残る2053施設は、自前で雇おうとも三年目の医師がほぼゼロになる勘定だ。その後の「循環研修」とやらによる「派遣」は、基幹施設の意向次第、大学病院であれば旧来の「医局人事」になる。しかも三か月程度の循環研修では地域のニーズを汲むこともできず、ただのお客さんで終わる


身近な外科や整形外科ではどうか。「新」制度になると、基幹施設は外科188,整形外科104にまで激減するのだ。一方一学年あたり外科に進む後期研修医は過去三年の平均で外科820人、整形外科は478人しかいない(上記、吉村氏の資料より)。この二つの科をみても、一旦基幹施設に吸い上げられた後期研修医を、本来二千以上もあった地方の教育施設に「循環」できるわけがない。

上記以外の科でも小児科、産婦人科を筆頭として状況は変わらない。過去三年の後期研修医数平均は、小児科458人、産婦人科411人、麻酔科が480人である。それ以外の12の基本領域科は四百人以下どころか、救急科以外は、三百人以下しかいない。地方の病院がこれらの科の後期研修医を、自前で連続複数年間雇用したくても不可能な「制度」になるのだ。

一方、現状では18の基本領域の各科いずれにも大(学)病院に行かず、地域で頑張ろうと決心している若手医師達も少なくないのである。地域特性にみあったそれぞれの科の研修を、あるいは、基本診療科を越えた研修や診療を、行いたい若手医師も多いということだ。そのような志を持つ若手の芽をも、この「制度」は潰してしまうことになる。

地方の自治体首長や地方病院の管理者の中には、どこかの「大病院、基幹施設」の「連携施設」になっているから、必ずや「研修医」をまわしてもらえるだろう、と考えている方もいるかもしれない。しかし、それは全くの間違いである。この「新」専門医制度が始まったとしたら、地域に根付きたい若手医師を雇うこともできなくなる。特に、長年の自助努力で後期研修医を雇い、育て、地域の拠り所を創り出してきた、いわば「地域イノベーションに成功した」地方自治体・病院ほど、地域の医療崩壊を覚悟しなければならない。皮肉、かつ極めて残念なことではあるが・・・。

吉村氏は言う。専門医制度には各基本領域に分け隔てない「統一基準」を設けるべきだ、と。
しかし過去に「中央権力」が地方の現場、状況を無視し、自分たちの都合で「統一基準」を設けたために、地方自治体が煮え湯を飲まされた例には事欠かないのだ。地方自治体の首長ならみな経験していることだろう。

この「新」専門医制度が開始され、地方がまた煮え湯を飲まされることにならないよう、切に願うものである。

米国原子力空母は、オーストラリアに向かっていた 

トランプ大統領・米国政府首脳が、原子力空母カールビンソン等を朝鮮半島海域に派遣するとアナウンスした4日後、同艦隊は、インドネシア海域をオーストラリアに向かって航行していたと報じるNYPの記事。こちら。NYTも、報じている。こちら。

この政権と国防省の間の祖語がどうして起きたのかは分からない。スティーブバノンをNSCから外し、防衛軍事の主要ポスト、さらには他の政府省庁の主要ポストが、既存のエリート層によって占められてきている(トランプは、選挙戦ではその排除を訴えていた)ことと関係しているのか、トランプ大統領の妄想的な発言でしかないのか・・・。

トランプ大統領の言葉の重みがさらに失われることは確かだろう。

トランプ大統領の発言を歓迎し、カールビンソンに海上自衛隊の艦艇をつけるとしていた、安倍首相も恥をかかされたものだ。

実質的負担率の低さは、北欧諸国並み 

bloomberg.comの記事、米国の租税負担が低いことを示しており、さらに低い租税負担を求めるならば、チリや、ニュージーランドに移住すべきだ、と皮肉っている。こちら。

この記事に出てくる租税負担率の国際比較は、子供のいない独身者についての比較だ。わが国は、24位と先進国中ではかなり低いほうだ。

実質的な負担率の国際比較はどうだろうか。以前、当ブログでも紹介した、井出英策氏の「日本財政 転換の指針」に、実質的な負担率の国際比較が出てくる。実質的負担率とは、負担率(租税・社会保険料・フローの財政赤字の対GDP比)から、受益率(教育費・医療費・社会的保護の対GDP比率)を相殺したものだ。これの方が、より総括的な国民の負担率を表現している。それによると、日本の実質的負担率は、北欧諸国のそれと同程度なのだ。わが国は、少ない負担率から少ない受益率が相殺し合い、一方、北欧諸国は、負担率・受益率がともに大きく、実質的負担率という結果だけは同程度になっている、ということだ。

わが国は、1981年の行われた法人税増税以降、2012年の消費税増税まで、基幹税の純増税は行われてこなかった。それが、低負担、低受益をもたらした。それによって、租税負担感が強まり、政治行政への不信が渦巻く社会になった。政治行政への不信・不満は、増税を行い難くさせてきた。その結果が、現状の財政と、社会福祉予算の削減になっている、という論旨を、井出教授は展開している。

現在の財政状況、それに社会福祉の貧しさから脱却し、互いが支え合う社会を実現するためには、増税は避けては通れない道なのだろう。

井出教授は、民進党の理論的リーダーの一人になった様子。彼の今後の活躍に期待するところ大である。

行政による医療の計画経済化 

医療介護は、その対象が社会的弱者なので、根本的に社会主義的な発想・制度設計が必要になる。だが、それを統括する行政が、共産主義の計画経済のような手法を取り、さらに行政の利権をそこにもとめようとし始めると、そうでなくても脆弱な財政・制度基盤に立つ医療介護は極度に疲弊する。社会保障制度として医療介護は機能しなくなる。現在のわが国の医療介護が、そうした状況にあるのではないか、という小松秀樹氏の指摘だ。

地域医療構想は、医療機関が本来得るべき消費税相当分の診療報酬を行政が簒奪することで確保される地域医療介護総合確保基金、そして地域医療の計画を強制的に推進するための地域医療連携推進法人制度によって、医療の計画経済化を進めるものだ。法治ではなく、行政による恣意的な強制、人治が行われる。そこには、腐敗が必然的に生じると小松氏は指摘する。

医学教育、専門医制度、医療機関評価、産科医療補償制度、さらに医療事故調によって、医学教育・医師人事・医療機関評価・医療事故すべての面で、行政が主導権を握って計画統御し、その実施組織を官僚の天下り組織とする体制が構築されてきた。この地域医療構想が、この「行政主導の計画経済医療体制」の集大成となるはず、と行政は読んでいるのだろう。この計画経済体制は、医療を機能しなくさせるだけでなく、国家財政の破綻を早める可能性が高い。

右肩上がりの高度経済成長期が終わり、その最後の花火のようなバブル経済が破裂した時期から、この動きが明らかになってきた。何たる壮大な体系だろうか。医系技官には、これが機能しない、失敗に終わることが予測できないのだろうか。

以下、MRICより引用~~~

計画主義が医療を滅ぼす4 統制医療の矛盾

元亀田総合病院副院長
小松秀樹

2017年4月17日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
---------------------------------------------------------------------
●原理的矛盾

本稿では、医療統制の経済的側面を議論するが、感染症政策の人権侵害と計画経済的統制医療は、いずれも計画主義に基づくものであり、医系技官によって立案・実行されている。

日本の医療統制には二つの原理的矛盾がある。

第一の矛盾は、私的所有をそのままにして、計画経済的手法で統制しようとしていることである。そもそも、統制で、日本のような人口の多い国のサービス提供を制御することは、人間の能力を超えている。旧共産圏の計画経済は、結果の平等を目ざしたが、非効率、専制、特権、腐敗しか生まなかった。ましてや、提供機関の私的所有をそのままにして、統制するなどできることではない。日本の医療機関の私的所有を、国がなし崩し的に奪いにかかっているとみた方が正確かもしれない。日本医師会には、会員のために、医系技官の意図を冷静に分析することを勧める。

日本では、歴史的に病院が私的所有の形で整備されてきた。2013年の社会保障制度改革国民会議報告書(1)は改革が困難であることの理由を強制力の不足に求めた。

公的セクターが相手であれば、政府が強制力をもって改革ができ、現に欧州のいくつかの国では医療ニーズの変化に伴う改革をそうして実現してきた。

日本の場合、国や自治体などの公立の医療施設は全体のわずか14%、病床で22%しかない。ゆえに他国のように病院などが公的所有であれば体系的にできることが、日本ではなかなかできなかったのである。

統制が政策立案者の期待通りの成果をもたらすことはめったにない。例えば、後期高齢者医療制度は天文学的な金を飲み尽くすモンスターになった。子どもの貧困が日本の将来を脅かす大問題になっているが、対策のための予算を確保するのを困難にした。高齢者の多くは何らかの体の不調を有している。医療はめったにその不調を解決できないにもかかわらず、患者はあらゆる不調の解決を医療に期待し、加療の継続を求める。医師は、効果の有無にかかわらず、ガイドラインに掲載された医療を提供し続けることが義務であると、自分自身のみならず、社会にも思いこませた。多剤投与で副作用を生じさせるリスクより、薬剤を投与しないことに伴う些細な軋轢を重視した。診療を厚くすることが、医師の収入を増やすからである。医療費を増やそうという圧力はあっても、医療費を抑制しようとする仕組みが医師、患者双方に組み込まれていなかった。

医系技官による個別指導は、医療費抑制策の一手段である。診療報酬の返還請求や保険医指定取消処分などの不利益処分などにつながる。これまで何人かの医師が、密室での強引で陰湿な攻撃に打ちのめされ、自殺に追い込まれた。強権による医療費抑制策は、恨みをかうだけで抑制効果があったとは思えない。

後期高齢者医療制度は、インセンティブを利用したネガティブ・フィードバックが欠如していたため暴走したのである。

日本の医療費には地域差(2)があり、西日本と北海道で高く、東日本で低い。病床規制制度は、基準病床数の計算方法が現状追認的だったため、本来の目的と逆に地域差を固定した(3)。1970年代に、1県1医大政策が導入された。

その後の高度成長期、地方から東京近郊に人口が移動したことによって、埼玉県、千葉県では人口が倍増し、1医学部当たりの人口が増え、極端な医師不足に陥った(4)。

埼玉県、千葉県の医師不足は統制の失敗による。四国と千葉、埼玉を比較すると、1970年、四国の人口391万に対し医学部数1、千葉は337万に対し1、埼玉は387万に対し0だった。1970年以後の1県1医大政策で、医学部数は四国4、千葉1、埼玉1になった。その後、人口が変化した。2015年、四国は人口387万に対し医学部数4、千葉は622万に対し1、埼玉は727万に対し1になった(防衛医大を除く)。

病床規制が失敗したのは、強制力が不足していたからではなく、実情を無視し、無理な規範を掲げて、強制力を行使し続けたからである。インセンティブによる自動調整メカニズムを、中央統制によって破壊したからである。今後、首都圏では高齢者が急増するので荒廃はさらに進む。

しかも、権力による統制は、権力を持つが故に慎重さを欠く。2014年4月に開院した東千葉メディカルセンターは、赤字が続き、東金市、九十九里町の財政破綻が心配される事態になった(4)。千葉県は、多額の補助金投入を正当化するために、二次医療圏を組み替えて、長径80キロにもなる不自然極まりない二次医療圏を作った。地域の需要を無視して、莫大な投資と多額の維持費を必要とする三次救急病院を設立した。医師一人当たりの収益が少なく、赤字が積み上がっている(5)。千葉県に出向した医系技官による乱暴な施策は、地域にとって有害でしかなかった。

第二の原理的問題は、費用である。医系技官たちは、国民が小さな負担しか容認していないにも関わらず、医療保険ですべての医療を提供しようとしている。被用者保険から、後期高齢者医療と国民健康保険に、強制的に多額の保険料が拠出されている。保険者自治の領域は限りなく小さくなり、保険としての体をなしていない。

日本は世界で最も高齢化が進行している。それにもかかわらず、日本政府の税収入は低い。2017年3月現在の財務省ホームページの記載によれば、2011年の日本政府の租税収入の対GDP比は、OECD34か国中、下から3番目だった。国民負担率は下から7番目だった。国民は消費税率引き上げを嫌い、与野党は2017年4月の消費税率引き上げを延期した。費用が足りないまま、医療のすべてを保険診療で提供しようとすることに無理がある。診療報酬を下げなければ医療保険が支払い不能になる。診療報酬を引き下げれば病院が破綻する。

●強制力の強化

地域医療構想、地域医療介護総合確保基金、地域医療連携推進法人制度により、社会保障制度改革国民会議報告書が述べた強制力強化が実行に移された。個別医療機関の自由な活動の領域が国家によって侵害され、現場の実情に応じた創意工夫が抑制されることになった。「強制力」による失敗を「強制力」を強めることで克服できるとは思えない。

地域医療構想では、構想区域の病床機能ごとの病床数を行政が推計する。西日本では大幅に病床が削減されるはずである。推計された病床が各病院に割り当てられる。割り当てを地域の関係者が一堂に会して決めるが、病院の存続にかかわることについて、当事者同士で合意を形成できるはずがない。実質的に事務局を担当する行政が決めることになる。実行に強制力が伴う。都道府県知事は、「勧告等にも従わない場合には」最終的に「管理者の変更命令等の措置を講ずることができる」(6)。民間病院でも県に逆らえば、院長が首になる。

都道府県に出向した医系技官が、病床配分を通じて、個別医療機関の生死を握ることになる。

レストランの個別料理ごとの1日当たり提供量、調理方法、価格、食材の配分を国が決めて強制すれば、創意工夫と努力が抑制され、レストランの質は低下するしかない。

さらに、消費税増収分を活用した地域医療介護総合確保基金が都道府県に設置された。補助金を都道府県の裁量、すなわち、都道府県に出向した医系技官の裁量で医療・介護施設に配分する。支配に協力的な施設に、地域医療介護総合確保基金が優先的に配分されるだろうことは想像に難くない。医療には消費税を課されていないが、医療機関の購入したものやサービスには消費税が上乗せされている。消費税率引き上げ分が診療報酬に十分に反映されていないことを考え合わせると、この基金は病院の収益の一部を取り上げ、それを、支配の道具に使う制度だと理解される。病院の投資を医系技官が握ることになる。病院独自の経営努力の余地を小さくして、不適切な投資を強いることになる。

現在、国の借金が膨大になり、今後、診療報酬の引き下げは避けられない。当然、病院の財務状況は悪化する。都道府県に出向した医系技官の裁量で多額の補助金を配分するとなれば、病院は、医技官に逆らえない。賄賂が横行しやすくなる。専制と腐敗は避けられない。

地域医療連携推進法人は、地域の医療法人その他の非営利法人を参加法人とし、許可病床のやり取り、医師・看護師等の共同研修、人事交流、患者情報の一元化、キャリアパスの構築、医療機器の共同利用、資金貸付等を業務とする。

これには三つの大きな問題がある。

第一の問題は、恣意的な特権の付与が可能なことである。「地域医療連携推進法人の地域医療連携推進評議会の意見を聴いて行われる場合には、基準病床数に、都道府県知事が地域医療構想の達成の推進に必要と認める数を加えて、当該申請」が許可される(7)。病床数が厳しく制限される中で、行政の恣意で、病床が与えられる可能性があるという。

第二の問題は、外部からの活動の制限範囲が法によって定められておらず、地域医療連携推進法人に対し、恣意的活動制限が可能なことである。重要事項の決定について、地域医療連携推進評議会の意見を聴かなければならないとされている。学識経験者の団体の代表、学識経験者、住民代表等をもって構成されると定められているが、地域の医師会などもこの中に含まれる。また都道府県の医療審議会の意見も聴かなければならない。意見を聴くことが義務付けられているが、意見対立があったときの規定がない。医療審議会は行政の言いなりになることが多い。地域医療連携推進法人に対し、行政の恣意による行動制限が可能になる。罪刑法定主義のない刑法のようなことになる。

第三の問題は、参加法人の自由が制限され、その内容が予見できないことである。参加法人が予算の決定、借入金、重要な資産の処分、事業計画の決定、定款変更、合併、分割、解散などの重要事項を決定するに当たって、あらかじめ、地域医療連携推進法人に意見を求めなければならない。行政が、地域医療連携推進法人の支配を通じて、参加法人を支配できることになる。

全体として、地域医療連携推進法人制度は、特権をあたえることによって参加を促し、かつ、行政が、都道府県や郡市医師会を介して、参加医療機関の活動を恣意的に制限できる制度である。行政と個別医療機関の間に、医療審議会、地域医療連携推進評議会などを介することで見えにくくしているが、実質的に「人の支配」であり、「法の支配」に反するものである。

裁量権

行政官個人の裁量が、個別医療機関の権益に直結する状況は何としても避けなければならない。人による強制より、数字による誘導が優先されるべきである。補助金は可能な限り小さくして、どうしても必要な場合は、数字によって予見できるものに限定すべきである。混合診療や公正なルールに基づく競争を、医療費の削減や医療の地域格差解消に利用することも本気で考えるべきであろう。安易な強制力より、インセンティブの組み合わせを工夫すべきである。計画主義は結果の平等を求める。そのために、強制力を極限まで強めるとどうなるか、中国の大躍進政策や現在の北朝鮮の悲惨な結果に示されている。

文献
1.厚生労働省:社会保障制度改革国民会議報告書. http://www.kantei.go.jp/
jp/singi/kokuminkaigi/pdf/houkokusyo.pdf
2.厚生労働省:医療費の地域差分析.
http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/iryouhoke
n/database/iryomap/index.html
3.小松秀樹:医療格差. 厚生福祉, 6013号, 10-14, 2013年8月27日.
4.小松秀樹:東金市「東千葉メディカルセンターを心配する会」主催講演会」
:市民は市の財政破たんを心配している(1). MRIC by 医療ガバナンス学会.
メールマガジン; Vol.021, 2017年1月30日. http://medg.jp/mt/?p=7290
5.吉田実貴人:東金市「東千葉メディカルセンターを心配する会」主催講演会
」:市民は市の財政破たんを心配している(2). MRIC by 医療ガバナンス学
会. メールマガジン; Vol.022, 2017年1月30日. http://medg.jp/mt/?p=7293

6.厚生労働省:地域医療構想策定ガイドライン.
http://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-10800000-Iseikyoku/0000088
510.pdf
7.厚生労働省:地域医療連携推進法人制度について. 医政発0217第16号, 2017
年2月17日.

『佐川理財局長の答弁を完全に崩壊させる新資料が発覚!』 

HARBOR BUSINESS ON LINE上で、菅野完氏が財務省佐川財務局長の虚偽発言を証明する証拠書類をアップいしている。
「佐川理財局長の答弁を完全に崩壊させる新資料が発覚!」と題する、こちらの記事。(情報速報ドットコム経由で得た情報。)

財務省官僚がこうまでして隠蔽しようとする背後には、彼らと安倍首相にとってよほど都合の悪いことがあるに違いない。でなければ、一民間組織に過ぎない森友学園に、財務省がこれほど入れ込むはずがないし、また国会でそれが問題にされて、財務省官僚がこれほど隠そうとすることはあり得ない。

菅野氏は、まだ段ボール箱4箱分の資料を持っている由。森友事件の真相、政治が国の財産を私物化している事実、愛国主義を唱えつつ右翼の一部がどれほど酷いことをしているかということを明らかにしていってもらいたいものだ。

森友学園問題は、まだ終わらない。

一昔以上経っての感想 

昔のポストを読み返す機会があった。そこで、ある方からコメントを頂いていながら、返事を申し上げなかったことに気づいた。すでにコメントだけで4300を超える数頂いており、中にはそのように失礼な対応をしてしまったことがあるかもしれない。特に、秘密コメント(ブログ主だけに宛てたコメント)、それにアップしてから時間のたったポストでは、その傾向が強いようだ。今後とも、頂いたコメントを見落とすことがないように、注意して行きたい。返信を期待されながらなしのつぶてだったコメンテ―タ―の方には、お詫び申し上げるのとともに今後ともよろしくお願い申し上げたい。

それにしても、一昔前は、ブログという媒体の世界は、もっと燃えていた・・・同業の方、無線関係の方それにキリスト教関係の方、幼馴染の方まで様々な方から活発なコメントを頂戴した。それらのコメントを読み返すと、懐かしい。皆さん、お変わりなく過ごしておられるのだろうか・・・。それが、何か落ち着いてきてしまった。このブログがマンネリ化しだしたのかもしれない。私も老化が始まり、ものごとの見方が平板になりつつあるのかも・・・。または、あの当時、大野病院事件で医療崩壊が問題になっていたためかもしれない。ブログという比較的長文のスタイルが廃れはじめ、face book、twitterのような短文でよりカジュアルなSNSに皆が移行していったのだろうか。

このブログ、自分のために記すというのが根本にあるので、書き方、内容を変えるつもりは全くない(というかできない)。コメントを頂ければ、大いに励みになるが、コメントあるなしでスタイルを変えることはない。お読みくださっている方には、ただ立ち去るもよし、場合によってコメントを頂戴できれば、とも思う。

以上、一昔以上経っての感想・・・。